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こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。

2011年7月11日月曜日

第九回 大船渡湾


日が昇ればあっさりと一日が始まります。
車の往来も増え、自転車も多くなります。
あなたは靴底について取れない砂を感じながらペダルを漕ぎ、そして斉藤さんの家に向かいます。
と、斉藤さんのかーさんが、あなたの荷物を持って、門前に立っていました。
「え、え、なん、どうしたんですか」
あなたは自転車から降りて押して歩き寄ります。
斉藤さんのかーさんが、あなたに荷物を差し出して言います。
「いそがい」
「は?」
「あと五分で汽車でるんだ」
「は!?」
「ほんで盛駅に、迎え待ってるはんで」
「はああ!?」
「かだるの忘れでだよ。ほら駆けらい」
「えっ、お礼とか村上さんとか」
「いいがら! とーさんにおれごせやがれっがらほれ!」
言われてあなたは走り出します。
わけがわかりませんが、5分後に電車がでます。
それだけは理解しました。
リュックをしょって、走り出します。
「あり、ありが」
「行がいほら!! 駆けらい!!」
叱られました。
舗装道路をかけて、広場とモニュメントのある陸前高田の駅にたどり着きます。電車がすでにいます。ベルが鳴っています。
「うわぁあ、待って、乗り、乗ります!!」
駅員さんに言うと、
「あっ、急いで下さい。盛駅で精算でぎっがらこれ持って」
と、券を渡されて、駅員さんが言います。
「待ってー。一人行ぎますー」
あなたは、電車に駆け込みます。
間に合った。と、息を整えると、扉が閉まります。
ごどり、と電車が動いて、うんうんとモーターが鳴り、電車は進みます。
電車の中はそこそこ人がいます。なぜか、お年寄りが多く、荷物が多いです。座る場所を探していると、
「こっちござい」
と、おばあさんに呼ばれました。
「あ、すみませ……」
「窓際ござい」
「え」
またこれか! とあなたは正直思うでしょう。
「海」
「は」
「海みえっからほれ」
「は、はい……」
あなたは抵抗せずに座ります。
まぁ、海、見たいし。
座れば、やはり新緑の山です。海沿いだなんて信じられない車窓の風景です。
「あの、荷物、大きいですね」
「おれ、乾物屋なの」
「はあ」
「ばあちゃんとこのな、息子がこれつぐってんのよ」
「はい」
「わかめだの、まつもだの。便利なんだー。するめもあるよ」
「はあ」
「ばあちゃん、これ、売りにいくの」
「え、た、たいへんなんじゃ」
「もうずーっとやってっからねぇ。やんないほうがやんたくでねぇ」
「家でテレビでも」
「ボケる」
「は」
「認知症になってしまう」
「そ、そう、です、か」
「70も越えるとよー。テレビもあきるのよ。やっぱ仕事だでばぁ。おれ、乾物屋なのだもの」
おばあちゃんは笑います。小さな身体で、皺だらけの手で、洗って日に干したとわかるスモックを着ています。手首にゴムの入った、動きやすそうなものです。
「盛でね」
「はあ」
「朝市があるの」
「はい」
「ばあちゃん売りに行くの」
「はい」
「寄れたら、寄らいね」
「はい」
「サービスするがらね」
「買います」
「あらうれしい。ホタテの干物がおいしいのよ。高いけんどもね」
「買います」
「ああ、ホラ来たよ」
「え」
「下見てごらん」
言われて窓の下を見ます。
コワイ。
ナニコレ。
断崖絶壁を電車が走っています。覗き込むと遙か彼方の地面が見えます。
「大丈夫なんですかこれ」
「仕方ないのよ。海でなければ山なのだもの」
「……いろいろ大変ですね。あの、もっと楽なとことか住まないんですか」
「ふるさとだものよう。おら、ここで死ぬのだもの。なじょにでもするがらいいのよ」
おばあさんは笑っています。
「ほら」
わあっと車内が明るくなります。
広々とした景色が広がります。
海です。
目が開くような、胸がすくような、そんな景色です。
天気がよくて空も海も真っ青です。
緑と桃色の島が浮き、対岸の山も春の色です。
白い海鳥が飛び交い、養殖筏が整然と並んでいます。小さな家が、細い道の端にびっしりと建っています
「大船渡湾だよ」
「わあ」
「きれいだべ。あそこの岬にはね、大船渡グランドホテルがあったんだけどなんでか潰れたね」
「はあ」
あなたは、遠くにある長い塀のような建築物と、その端に建つ灯台を見ます。
なんだろうあれ。
湾の端と端から海の中に出ているコンクリートの無骨な塀です。
あれが海底から出ているとすると、とんでもない大きさです。
「あれ、なんですか」
「あれ、湾口防波堤」
「防波堤」
「うん。津波、ひどいからね。おれ、チリの時みたもの」
「はあ」
「ほんで、あれがね、小野田さん」
「え」
「あそこの、紅白のしましまのえんとつ。小野田セメントさん。裏の山白いべ? あれね、セメントにする石灰岩とってるの」
「はあ……それで、懐かしい景色が壊れていくとか」
おばあさんがしゃしゃしゃと笑います。
「景色など、かわるものだ。街の景気がいくなればいいのだ」
「そ、そんなもの、ですか」
「ほんだよう。ほんで、あれが魚市場で、ほら鳥山あるべ」
「ほんとだ」
細長い屋根の上に大船渡魚市場と書いてある建物があって、その一隅に白い鳥が山のようになっています。
「市がおわったので、魚すててるの。ほんで鳥がきてるの」
「もったいなくないですか!」
「ほんだってあんたがたがかわないんだもの。しかたねぇべよ。こっちさ文句言われでもかなわないよ。もっと、形のそろわないのだの買ってくれだらいいのよ」
「え、だって、スーパーにそもそもない……」
「売れないからだもの」
「……はぁ」
「そんなこといわれても、って顔だね」
「はあ」
「おれだづも思うよ。そんなこといわれでもどな」
「……はぁ」
「ほんであれが1万トン岸壁」
おばあちゃんのガイドは続きます。


       続く。