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こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。

2011年3月26日土曜日

第四回 猊鼻渓・二


船着き場に行くと、ほぼ同時に団体さんが出てきました。
船は平たい木製で、動力のようなものは見当たりません。
あなたは列の最初に立つことが出来ました。
前のお客さんが全員おりると、長い竹竿を持った船頭さんが
「どうぞ」
と、声をかけます。
着物と菅笠の、昔ながらの船頭スタイルです。
あなたは船に乗り込みます。案外安定しています。
せっかくなので舳先に座ってみますか。
団体さんがわやわや座って、やがて船が出ます。
水面を滑るように船が進みます。
少しすると、車の音がきこえなくなります。
両岸に切り立った白い崖。
水の流れる音と風の音。梢の揺れる音が崖の間に反響し、天に抜けていきます。
奇岩の案内を船頭さんが、枯れたいい声でしてくれます。
竹竿一本で、船は渓流を上がります。
進んで行くにつれて、空気がかわります。
人のいない、深山幽谷の気配です。
緑の息づかいがきこえるような、その間の動物たちの視線を感じるような。
花がたくさんさいています。
白い崖を彩る白い山桜や黄色の山吹、そして可憐に下がって揺れる薄紫の蔓の藤。
そしてそれらの影が揺れる白い崖。
団体さんの歓声につられて水の中を覗くと、魚がたくさんいます。
「あら昔は鯉がいなかった? 錦鯉。綺麗だったのに」
誰かがいって、船頭さんが答えました。
「綺麗だったんだけんど、不自然でめぐせえってことで別のとこに移したのす」
めぐさいとはおそらく目腐いと書くのでしょうね。
みっともないとか美しくないとか、そういう意味です。
美意識の有り様を示す良い言葉だと思います。
でも
それはそうかもしれないけれど、この美しい渓流に錦鯉の群れは、ゴージャスだったんじゃないかなとあなたは思うかもしれません。
あるいは、確かにこの日本の渓流には山女や岩魚こそがふさわしいと思うかもしれません。
白い首の長い鳥が飛びます。
あれは鷺だねとだれかがいいます。
いろいろな鳥が鳴き、飛び交います。
水音。

やがて船は、渓流の奥にたどり着きます。
桟橋があって船を下りると土産物屋の様な小さな建物があります。
「うん玉」と書かれています。
中を見るとマスに区切った容れ物がありそこに、寿、とか運、とか書いた小石大の焼き物が入っています。
五個百円で、なかなか可愛らしい焼き物です。
渓流の向かいには穴が開いていて、あそこに投げて入ると願いが叶うと船頭さんは言います。
イッツ・アミューズメント!
がんばってみてください。


さて、下りです。
船頭さんが歌い始めます。
朗々とした声が、崖に弾けて天に昇ります。崖の前に立つ細い木が、影を落として風に鳴ります。
桜の花びらが舞い散って、水面と、貴方の顔に落ちかかります。
およそ一時間と少しで船旅は終わります。
さて、正午の船に乗りましたので、一時間と少し船旅をして
今は一時、そうですね15分です。

さて、時刻表を確認してみましょう。
「ブッ」
次の列車は3時15分です。
大船渡線は、基本一時間に一本な上に、この時間は通勤通学が少ないので、
、三時間に渡って電車がないのです。
近くに紙漉き館というナイススポットもありますが、
まぁせっかくエアトラベルなので二時間時計の針を進めましょう。


駅に電車が到着しました。
河原で読む文庫本もなかなかおもしろかったし心地の良い体験でしたよね。その辺の公道もうろちょろしましたし。
3時ともなれば、太陽光は金色です。
白い雲の上からの光が、斜めです。
すでに夕方になる気配です。
あなたは、なんとなく雲をながめます。
存在感のある、陰影のはっきりした雲です。
やがて電車がやってきて乗り込みます。席がひとつ空いていたので座ろうかなと思いますが、女子高生三人の席の一角でちょっと迷います。
が、
女子高生が少しずれて席を空けてくれました。
「す、すみません」
あなたは恐縮しつつ席に座ります。
発車のベルが鳴って、電車が発車します。
女子高生たちはおばちゃんたちよりずいぶんゆっくり話をします。
「ゆき。こないだの」
「うん」
「あれな」
「はい」
「ニノの記事のってたよ」
「え、嘘。見せて見せて」
なんだかよくわかりません。
「ニノでねぇべ二宮君って言え」
訛っていますが、激しくはありません。
女の子たちは、おばさまがたより大人しいようです。
あなたは風景が見たくて、窓の外を見ようとします。
すると、窓側の席の女子高生が言いました。
「どこまでですか?」
「あっ、え、盛、です」
「あっそしたら私気仙沼なんで。席代わりましょう」
断るヒマもなく席を移動しはじめられ、あなたは慌てて動きます。
席を交換して落ちついたところで、あなたは
「ありがとう」
と言います。
女子高生は照れくさそうに笑います。
「いいえ。どっからですか」
「東京からです」
「えーいいなー」
「いいなー」
「いいですかね」
「いいですよー。こっちあれですよ、テレビ局少ないし」
「めんこいテレビとか、名前どうなのっていうね」
「ねぇ。はずかしいよね」
「いいともが四時からだし」
「そ、そうなんですか」
「私、大学は東京行きたいんですよね」
「やっぱ東京いいよねー」
「一回住んでみたいよねー」
そんなもんなんだ。
ちょっと感心して、少し話して、貴方は車窓を見ます。
風景はいよいよ夕暮れの光りに照らされて、影を長く薄くし、陰影をつけています。
黄色い帽子とランドセルの子供たちが歩いています。
軽トラックも走っています。田んぼはいよいよぎらぎらと光り、田んぼに囲まれた屋敷森の家も見えます。そういう家の近くには小さな墓地と、鳥居が見えます。
桜が散って花吹雪になります。
冬は、白と黒だけの世界です。
雪は幾重もの紗の様にのんのんと降り積もります。
雪が積もって晴れ、風が強い日には地吹雪も起こり、一歩も歩けなくもなります。
真っ白な世界にただ、太陽だけが遠く輝く、それは透明な石の中に閉じ込められたような、そんな不思議な気分になります。
晴れた日の日没後には、残光で雪が真っ青に染まるブルーモーメントが頻繁に見られます。
真っ青な世界に、裸木の繊細な影。
星はまだ輝かずに月ばかりが浮く景色は絵本そのままです。
夏はコントラストの強い色彩、青い空、白い雲、白い道、黒い影、乾く、茶色の土、黒いような濃い緑。
秋は、錦秋の一言に尽きます。
やがて、列車は気仙沼に到着します。
時刻は16時9分です。
ここで、半数ほどが降りていきます。
女子高生たちも降ります。
開けられた扉から、少し、潮の香りがします。
ここで降りて、唐桑半島を観光するのも、フカヒレを食べたり、鮫革の加工品を冷やかすのも楽しいですが、今は先を急ぐとしましょう。
停車時間は一分です。
乗客たちが乗ってきます。
「あれ」
声をかけられ、あなたは視線をあげます。
「あっ」
一ノ関からの電車で会った、おじさまとおばさまです。
ほかのおばさまたちはおられません。
「チェ・ジウ」
ついあなたは呟いてしまい、おばさまが照れます。
「あらやんだ。とうさんがいけねぇんだよ」
「チェ・ジウでねぇ。チェ・ジウよりめんこいんだ」
「やめでけらい。あー。ほら、とうさん座らいや」
「はいはい。そこ、いいがしら」
聞かれて貴方は頷きます。
「はい。あの、猊鼻渓良かったです」
「ああ、んだべ。いいんだ」
おじさまは貴方の向かいに座って笑います。
おばさまは、荷物を空いている席に置いて、おじさまの隣に座ります。
「おらど、気仙沼で用足しして帰るどこだ」
「え、どちらなんですか、家、住んでる、えー」
「高田だ」
「高田」
「陸前高田。あんだ盛に行くってだが。宿あんのすか」
予約とかしてませんね。
「え、ま、ホテルとかあるんじゃないですか」
盛駅付近にホテルはありません。旅館はあります。朝ご飯がおいしいそうです。
「かあさん、いいべか」
「いいですよ」
おばさまはにこにこしています。
「ほんだら今夜は、おらいに泊まらい」
「は?」
「ほんで明日は盛の知り合いに話しすっからそこに泊まらい」
「は?」
「夕飯、魚食べらいや」
「は?」
「うんまいぞー。高田の魚。汽車着いたら高田松原歩いてらい。車持ってくっから」
「あんだ荷物どうすんの」
「斉藤さんどこに置かせてもらうべ」
「ああ、ほんだな」

決まってしまいました。


続く。

2011年3月23日水曜日

第三回 猊鼻渓・一

ホイッスルが響き、チャイムが鳴ってアナウンスが流れます。
『本日は大船渡線ドラゴンレール号にご乗車くださいましてありがとうございます。
ただいまよりドラゴンレール号の案内をさせていただきます』

おや、こんな素敵な動画がありました。
09.7.20 ドラゴンレール号 一ノ関発車後アナウンス おまけつき

ところで車内は混んでいます。席は決して広くなく、おばさまがたの膝と触れあってしまいそうで少し緊張します。
ピーナッツはおいしいですが、ゴミをどうしようか困っていると
おばさまのひとりが袋を出してくれました。
「ここさ。ほれ。なげてハ」
ここへどうぞ、お捨てくださいな。
「あっ、すみませ……」
言われるままにあなたはピーナッツの殻を捨てます。
礼を言いましたがおばさまは聞きもせずに、また話の輪の中に入っていきます。
電車は、唸るような音を立てて進んでいきます。
車窓の景色が流れていきます。
一ノ関の市内を抜けてしまうと、郊外の住宅地です。二階建ての家が多く、高い建物は見当たりません。
車窓は明るく、風景はうららかです。
遠くになだらかに山脈が見えます。
空がぼんやりと薄青く、春の色です。
桜が咲いています。木蓮も咲いています。あれは梅でしょうか。白いのは雪柳。庭先の花はチューリップですね。
人の姿はあまり見えません。
やがて三分ほどすると、水田が現れます。
日に煌めいて風に水が波打ちます。田植えが終わった田もあります。
畑には鳥避けのメタルテープが張られてキラキラしています。
その全てに山が迫っています。
春の山です。
多彩な緑が霞の様に山全体を覆っている山、植林の杉の線がくっきりしている山と様々です。
おばさまたちは話し続け、おじさまたちは泰然としています。
電線のない空を、鳥が滑るように飛びます。
林の下土が、照らされて赤く白く輝きます。
やがて、山の中に入ります。迫ってくるような山肌が現れます。
雑木の林の若葉が、柔らかいみどいりろで、下生えの花が咲いています。
日陰になると、目がいたいような気になるのは、今までが明るすぎたのでしょうね。
真滝・陸中門崎・岩ノ下と到着する度に、数人の出入りがあります。
山を抜けて田が広がり、集落があり、また山に入ります。
三十分ほどで猊鼻渓に到着します。
山肌の植物や、空をぼんやり眺めていたあなたは、唐突に視界が開けたことに驚きます。
電車の音が開放されて、聞こえ方が変わります。
渓谷にかかった鉄橋があり、電車はそこを通っているのです。
水は青く黒く澄んで流れ、なんだか暗い翡翠の様です。波が立って白く輝きます。
切り立った岸には差し込んだように木々か生え、視線の下を横切って鳥が飛びます。
「トンビだ」
おじさまがおしえてくれます。
「砂鉄川だ」
また教えてくれました。
「砂鉄が取れたんですか?」
「ンだ。いい鉄と、金も昔採れたのす。んで金色堂がよ。田村様の時代だれば、おなごも綺麗だんでハ、都に持ってかれで、今は出がらしばりだな」
おばさまたちが笑います。
「やんだーこんなにめんこいお姫様つかまえで!あんだ村上のかーさん、とーさんにちゃんと言っておがいよ」
おじさまのとなりのおばちゃんが笑います。
「はいはい。なぁなぁとーちゃん、おれめんこいべよう」
おじさまがプッと笑います。
「まぁ、おらいのかあさんチェ・ジウよりめんこいでばな」
おばさまたちがキャーキャー言います。
正確にはやんだーあんだーやんだーあんだーと言います。
なんだか照れくさいです。おばさまの顔がちょっと赤いです。
おじさまは目を細めておばさまを見て、それから帽子を顔にのせます。
「おら気仙沼まで寝るからね」
「やんた村上さんおしょすいがらって」
「あ、ほんだ。あんだ、猊鼻渓みねぇのすか?」
おじさまが帽子を取って言います。
「あっ、えっ」
「日本百景だぞ」
そうか。
では観ていきましょう。ちょうど列車は減速して止まるところです。
あなたは荷物を持ち直して、おじさまとおばさま方に挨拶をして列車を降ります。
ホームには何もありません。
観光客がちらほらいます。
発車の音楽が鳴りホイッスルの音がして、電車は出ていきます。
あなたは振りむいて、電車の中のおばさま方に手を振ります。
おばさま方は見向きもしません。
情が厚いのか薄情なのか判りません。
電車が行ってしまうと、静かです。
鳥の声と風に木々が揺れる音がします。
観光客のみなさんが行く方向へついて行ってみましょう。
駅から猊鼻渓は徒歩五分ほどです。
舗装道路を歩いて、民家の横を通り抜けて下っていくと、駐車場に出ます。
そこそこの数が止まっている駐車場横を抜けると、土産物屋の人らしいおばさまが
「よってってー! うちよってってー!」
と呼び込みをしています。
なんとなく、そこではなく少し奥のレストハウスに向かいます。
「猊鼻渓船下り」
と看板があり、あなたはレストハウスに入って、声をかけます。
「あの、すみません、船下りって」
「はーい。少々お待ち下さいー」
おや、若い女性の声で訛っていません。
おみやげ売り場の奥から、店員さんが出てきてくれました。
「船下りでしたら、そこをこういって、大人一人千五百円です」
身振り手振りで教えてくれました。
「ありがとうございます」
「あと、時間ですけど、発着時間はこれです。次は12時になりますね」
ちょっと時間がありますね。
二階が食堂になっているようです。
「じゃ、上、で」
「はい、どうぞ」
「げいび蕎麦がおすすめですよ」
うふふ、と女性は笑います。
「あ、はい……」
あなたは二階に上がります。
「いらっしゃいませーぇ」
やっぱり訛っていません。
「あいてるお席おすわりくださーい」
空いてる席に座ります。
別の所では、団体客が食事をしています。
お茶を出されて、
「げいび蕎麦下さい」
と、あなたは注文します。
「はい」
と店員さんが言います。
窓からの景色は、成る程、凄いです。
切り立った崖にわさわさと緑がはえています。崖の肌は白いです。
流れる河を見ているだけで、ぼんやりしてきます。
「はいおまたせしましたーげいび蕎麦いっちょーう」
出されたモノを見てあなたはちょっと目が細くなります。
何これ。
蕎麦の上に刺身。
とか。
刺身?
「……いただきます……」
お箸を一膳取って、食べ始めます。
温かい蕎麦に刺身。
まぁ魚しゃぶしゃぶみたいなもので……えーなんか……えー。いやけっこう……えー。蕎麦はおいしい……海藻と山菜がすごくはいって……えー。
平らげて、お茶を飲みます。
なんか納得いかない。おいしいけど。
あなたは精算して外に出ます。売店で、棒アイスが売っていたので、ミルクバーなんか買います。
河原を歩きながら食べます。
河原は光が満ちて明るく、水の流れる音がします。鳥の声がいくつもします。
大きな白い鳥が飛んで行きます。
首とくちばしの長い鳥。
河原は歩きにくいので気をつけて下さいね。

さて、そろそろ船着き場にいきましょう。
あちらから、船が戻ってきたようです。
ところでこれなんでしょう。カッコイイですね。

続く。

2011年3月18日金曜日

第二回 車内


前の人にならって、あなたは整理券を取ります。
「ワンマン」
という文字とか
「開 閉」
と書かれたでっかいボタンとか
「お手洗い」
の看板とか
色々気にはなります。

車内はかなりの混雑です。ボックス席と、長椅子があります。
長椅子は埋まってしまって、ボックス席もほぼ埋まってしまって、
四人がけのボックス席に三人座っているのはみつけましたが、
荷物が置かれています。
あなたは、まぁいいか、立っておこうと思いますが、ふと、
そのボックス席の一人と目が合い、荷物を退かされます。

いいのに。

と思いつつ、その人は手招きまでします。

しかたがない。

あなたは頭を下げてその席に座ります。
手招きをしてくれたのは、年配の男性でした。
ボックス席は年配の女性たちで埋まっています。
あなたは男性の隣に座ります。
「すみません」
男性はうん、と頷きます。
「なにあんだどっからきたのすか」
女性が言います。
「あっ、え、り、旅行です」
返事になってませんが女性は気にしません。
「あらそうなのー。ちょっと佐藤さん、このひと旅行だど!」
他の女性たちが会話に入ってきます。
通路を挟んだ向こうのボックス席の女性たちも身を乗り出してきます。
「あんらー」
「なになに」
「旅行だずど」
「あんれーどこまで?」
あなたは何とか答えます。
「さ、盛、です……終点……一応」
「あらそうなのー」
「猊鼻渓さ行がいや」
唐突に言われます。猊鼻渓。路線図にありましたね。
「ほんだほんだ」
そうよそうよ。
「んだんだ」
そうよそうよ。
「せっかくきたんだら舟っコさ乗らいや」
せっかくこちらまでいらしたのですから、舟に乗ってはいかがですか?
「ちょっと熊谷さん、あんだ猊鼻渓のどこだがおいしいって」
熊谷様、あなた、猊鼻渓のどちらかの食堂がおいしいと行ってらっしゃいましたよね?
教えて差し上げてはいかがかしら。
「郭公団子食べらい」
かっこうだんごをおあがりなさいな。
「石ッコ投げてハ」
石をお投げなさいな。
「売店、呼び込みうるさくなったずど」
ところで皆様、あちらの売店、呼び込みがうるさくなったそうですわよ。
「やんたなー」
ま、いやね。
「やんたねー」
そうねいやね。
「めぐせがなー」
いやだわ、みっともなくてよ。
何語だろう。
そしていつ途切れるんだろう。
何言われてるんだろう。
返事求められてるんだろうか。
あなたは色々思うでしょうが、女性たちの言葉に口を差し挟む余裕はありません。
返事は求められていませんが、何も言わないと、
「なにか語らいや」
とか理不尽なことを言われます。
男性が、ぽつり、と、言います。
「おらど、今、成田から来たんだじゃい」
私どもは今成田空港から参りました。
「え、あ、そ、そうなんですか……」
男性の喋り言葉はゆっくりしています。
「農協の旅行だ」
「どこ行かれたんですか?」
「ドバイさ」
農協の旅行は、意外な所を選ぶところがあります。
「どっ。土倍、ですか」
あなたはどこなのかわかりません。
「うん。景気いいとこ見るのも勉強だがらな」
「あんだーいがったどドバイ」
ねぇ、旅人さん、私たち土倍で楽しかったの。
あなたは思います。土倍ってどこだ。千葉?
別の女性が言います。
「ほんっだ! ビルこんなだぞこんーな高い! おら、登っておしっこもれそうになって」
そろそろ翻訳は不要ですね。
「ちょっとやんだあんだおしっこだっづ」
「やんだよー」
「やんだやんだ」
「あららほほほ」
また、男性がぽつりと言います。
「せつねど」
無視されます。
「ほんで鎌田さん、あんどきのあれ」
「やんだーもー言わないでけらいもーおらおしょすいがーやんだやんだ」
笑い声のなか、あなたは男性に言います。
「せつねどってなんですか」
「うるせぇと言う意味だ」
「おしょすいがーってなんですか」
「恥ずかしいよう、という意味だ」
「……ありがとうございます」
いきなりあなたは腕を叩かれます。
「ほらあんだピーナッツ食べらい。うんまいぞ」
「うめぇがなー」
「さすが産地だ。おらどごでは出来ないな」
「寒いがらね」
「なじょにがなんねべがね」
少し真剣な女性たちの会話に、男性が噴き出します。
「おら、やんたぞ。やらねぇがらな」
「わがってる。おとうさんば梨作って貰ったらいいからよ」
「村上さんの梨うんめぇがらねぇ」
「最高だでば」
発車のベルが鳴ります。
駆け込んで来る男子高生の後ろで、ドアが閉まります。
運転席から大きな声がします。
「駆け込まないでけらい! あぶねぇよ!」
男子高生が答えます。
「すみません!」
息が切れています。
確かに、ここで一本逃すのはいたいのかも知れません。本数は多くはありません。
おばちゃんたちの一人が、男子学生に言います。
「あんだピーナッツ食べらい」
え、どうするの……
あなたは思います。
男子学生は言います。
「いらねぇです」
「うんまいぞ」
「好かないのす」
「あ、そう」
男子学生はひょこっと頭を下げて会話は終わりました。
見習いたい。
思いながらあなたはピーナッツのからを剥きます。


続く
第一回 一ノ関駅


東京駅から新幹線で二時間半。
南三陸沿岸の玄関口、一ノ関駅に着きます。

07:56~10:21JR新幹線はやて103号 
運賃:片道12,470円(乗車券7,140円 特別料金5,330円)
一ノ関で乗り換えて
10:43~13:0823JR大船渡線・盛行
のルートです。
参考までに合計運賃は片道13,840円(乗車券8,510円 特別料金5,330円)です。

けれどもまっすぐ着いて貰っては困るので、ちょこちょこ途中下車して貰います。

さて、もうすぐ一ノ関に着くところからはじめましょうか。

正直、ちょっと遠いです。
車内販売で買った福島名物ままどおるを食べながら
(ままどおるは玉子あんを皮で包んだほそながいお菓子でとてもおいしいです)
仙台でもよかったんじゃないの。あそこらへんが距離的に妥当なんじゃないの。
あなたはそう思って、大船渡線の路線図なんか広げます。
そしてきっとこう思うはず。

なんでこんな形なの。

大船渡線は、なべづる線と異名を取る路線の形をしています。
クネクネしております。
どんだけ利権争いあったの?
とか、
どんだけこの一本ですませようとしたの?
とか、
これかえって不便じゃないの?
とか、
思うと思いますが仕方ないのです。くねくねしちゃっているのですから。


あなたの今回の旅の目的は、陸中海岸国立公園とその周辺の観光です。
楽しんでください。
一人旅です。


季節は今回は春にしましょう。
夏にも来て下さい。秋も美しいです。けれど一番美しいのは冬です。

それはまた別の時にするとして今回は春にしましょう。

ゴールデンウィークで、新幹線はそれなりに混んでいます。
くりこま高原を過ぎたところで、やたらトンネルが多いなとあなたは思うでしょう。
とおくの山に見える藤色の花は、下がっていれば藤、上向きなら桐です。
ごお、とトンネルを抜けると古川駅です。
このあたりから水田が多く見えてきます。
雑木林を擁する山々は、若葉を吹きだして輝いています。うぐいす餅のようです。
山桜は群れないので、差し色のように一本ずつ桜色に翳っています。
信じられないほど急な斜面に鉄塔が立っていて、杉や松の重い緑が陽に影を持ちます。
幾枚かの水田では水が入れられ、田植えの作業が行われているかも知れません。
それらは青空と山々を映して、まるで天空が地面に落ちたようです。
あぜ道を子供がひとりでかけていきます。
関東では散ってしまった桜がここでは今が満開です。なぜか八重桜もほぼ同時に咲いています。
天から地から、光が満ちて、雲は白く流れていきます。

てれててててーんててれてててーん♪
間もなく、一ノ関駅。一ノ関駅。

続く英語のアナウンスを聞いて、あなたは路線図をしまいます。
ってるうちに列車は減速を初めてあなたは慌てます。
止まります。
あなたは
駅間狭いだろ!と慌てますが、他の皆さんは慌てていません。

扉が開いて、あなたは一ノ関駅のホームに降り立ちました。

そして言います。

「寒」。

他の皆さんは慣れている様子で足早に歩いて行きます。
新幹線はホイッスルの音と同時にまた出ていきます。
あなたは歩きだしてエスカレーターを降ります。

晴れてて四月末なのに、なにか空気がひんやりしています。
喉が冷えるような冷たさです。

乗り換えに少し時間があります。
コンコースには人は少なく、あなたは飾ってある大木の輪切りなど見ます。
寺に奉納されている大太鼓の素材ということです。
小さく手書きで色々書き込んであり、天保の飢饉の時には年輪の間が異常に狭いことに気がつくでしょう。
大変なんだなぁ。
ちょっとぞっとするかもしれません。
ところで寒いので、ベンチに荷物を置いて、一枚着込みましょう。
そして荷物を持って離れますが、改札を出て、ポスターに目がつきます。
「義経伝説~平泉」
路線図を見ると、駅は隣の隣です。
今回は大船渡線の旅ですから脱線ですが、せっかくエアトラベルなのでちょっとあなたをお連れしましょう。

毛越寺
「うおなにこの別世界! 小宇宙!」
中尊寺
「古い。ぼろい。ミイラ」
達谷の窟
「なんでこれこんなことに!」

中尊寺は、少し年をとってからきたほうがいいかもしれません。
けれど、みんながいいというものを若いうちに無理矢理見るのもいいものです。
毛越寺はアヤメもとても見事ですが庭園自体素晴らしいし、駅からも近いのでお勧めですよ。
達谷の窟は、あまり知られていませんが、見ても損はないと思いますし、
岩手の歴史を感じるいい史跡と思います。

さて、一ノ関駅です。
「ふぅ……ちょっとなんか疲れた……」
売店で山のきぶどうというドリンクを目にして買ってみます。
「すっぱ!」
お値段三百円でちょっとお高いです。
「でもうめぇ」
疲れが取れますよ。久慈市の名産です。県内には多く流通しています。
通路を歩いて行くと、階段があります。
降りると外です。ホームがあって、そこに緑色の車両があります。
四両あります。
気仙沼で切り離される車両と、盛まで行く車両です。間違えると乗り換えなくてはなりません。
結構人が並んでいます。
学生さんたちもいますし、会社員さんもいます。

座れますかね?


車体の横には、「ドラゴンレール 大船渡線」と書かれています。
かわいいドラゴンのマスコットも一緒に。


車両の扉が開きます。
どうぞ、前の方に続いてお進み下さい。


続く。