第十三回 観光しましょう。碁石海岸・1
けっこう立派なお社に参拝して、顔を上げると金野さんが言いました。
「はいほんでは戻るど」
金野さんに言われてあなたはつい横目で見てしまいます。
「……こんな思いしてのぼってきたのに?」
「見る物ねーべや。碁石さ行って戻ったら、駅前の寿司屋で寿司くうべよ。ほんでそのあど吉浜さ行って、五葉さ行って」
「すみません山もういいです」
「なんでやーあ!」
「しんどいですもん!」
「何やこんくらいで」
「ちょ、あの、都会の若者の意見聞きたいんですよね?」
「はぁまず」
「何ですかその曖昧な間」
「いやおもしろくでな」
「おもしろがられたら面白くないです」
「やんだーあんだ真理だなやー!」
心底感心して言われてちょっといらっとしますね。
ファイト。
「わかりました、じゃあその碁石に連れてって下さい」
「おし、降りるど。階段で行くべ」
「え」
金野さんはすたすたと行ってしまいます。
階段の下りは早いですがとても怖いです。
手すりがあってよかったですよね。
金野さんはメットを渡してくれました。
荷物はあとで取りに来るようです。
あなたを後ろに乗せて、バイクは走り出します。
方角は、高田に戻る感じですね。道は国道。四車線です。
途中きつい坂を登り、見晴らしがいいです。海が綺麗です。
人の暮らしが見えます。
干された洗濯物、古い倉、量販店、網を干している家もあります。遠く霞む山。空の青はどこか薄いです。
風が吹くと少しきついほどの桜の香り。椿と小手毬の溢れる家々の庭。
光る海。
下って、やがて線路と並走します。また上がって、海が近いです。魚市場が見えます。カモメが山になっています。廃棄された魚に群がっているのでしょう。
もう市場は閉まって、静かです。
また下って少し行くと船が停泊している湾に出ます。
細浦湾です。
少し生臭い、静かな道です。
人があまり見えません。
ただ、古い小さな家々と、花が。
若い緑が。
緑色に光る、海が。
そして使い込まれて手入れをされた船がたくさん、舫って、揺れています。
そこを過ぎてまた畑や民家のある景色。
堤防を過ぎて、また上ってやっぱり海が見えます。
登りきると松林です。
その手前に大きな駐車場があって、レストハウスがあります。
大変昭和の香りがします。
人はあまりいません。
左手に温室の様な物があります。
「世界の椿館」と言って、椿を集めたところです。
大船渡市の花は椿です。
レストハウスの駐車場はぐるりと大きな桜に彩られています。
今、満開です。
金野さんはがらがらの駐車場にバイクを停めました。
「着いたど」
「……はい」
あなたは降りて、メットを金野さんに渡しました。
遠く、どろどろと波の音がしています。
そのほかは全く静かで、鳥の声だけします。
「俺ここ好きなの」
「はあ」
金野さんは歩き出します。
桜が見事です。
ここでお祭りがあって、その時には鹿踊りが披露されます。重い装束と太鼓をつけて、1メートルも跳躍するその異形を演じる皆さんは、漁師さんだったり消防員さんだったりです。
松林に足を踏み入れます。
桜の花びらがこんなところまで。
緑の松葉に桜色が織物のようです。
高田松原よりもっとふかふかしています。
ここは夏には、鉄砲百合の原になります。
黒松の影の下、真っ白な大きな百合が、朝靄にけぶり、強く香るつめたい朝は、異界に来たような気になります。
その時もこの波音はしています。
どろどろと、遠く。
時折、落雷の様にがらがらと響きます。
松林を抜けると、道に出ます。
視界が開けます。
「うわ」
白く空に溶ける水平線が丸く広がっています。
波の音が足下から迫ります。
どろどろと。
続く。
エアトラベルドラゴンレール
ようこそ
こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。
2012年1月26日木曜日
2011年10月12日水曜日
第十二回 観光しましょう・天神山公園
ひとのいない、明るい通りを歩いて、あなたと金野さんは国道を渡ります。
国道は車通りが多い四車線の道です。
金野さんは、途中の民家に荷物を預けて身軽です。
「あ、それ聖ハリストス教会。珍しい建物だべ」
金野さんが指差したのは、小さい、小屋のような木造建築です。
確かに、珍しくはありますが。洋風ではありますが。……小さいです。
「でむこうのがあたらしいやつ」
国道を挟んで向かい。白い壁の教会があります。
ああ。ちゃんと大きい教会です。よかった。
「んであっちがお寺さん。興味あれば行くど。いい建築だど」
あれ?
「……で、天照大神?」
「んだ」
「一カ所……」
「まどまってで便利だ。ホラ信号変わったど」
横断歩道を渡って、山の麓に立ちます。
そそり立つような斜面に、桜が立ち並び、鳥の鳴き声がします。
太陽に温められた草と木と土の薫り。
後ろを行く車の排気ガス。
「……のぼ」
「るど?」
「あし……」
「でだよ?」
ですよね……。とあなたは思い、右を見て、左を見ます。
「どっ……」
「ちでもかまわねぇよ」
右手にはまっすぐ切ってある階段。左手はつづら折りの道です。
「……階段上がれるんですかそれ。一段の段差きつくないですか」
とか言っている間に、自転車を置いた中学生らしい子達が現れて、キャーキャー言いながら駆け上がっていきました。ミニスカ女子たちです。
「余裕だでば」
「無理。斜面にします」
「なんだこっちいったらぱんつ見られるかもしんねぇど」
「いいですよそんなの。ってもう、あのこたちすごい上じゃないですか!」
「まああんなもんだ。いくどー。20分ぐらいだよ」
「……はい」
っていうことは、結構あるなとあなたは思います。
けれど、砂利のある急勾配の斜めの道は、桜の花の下、揺れる影がきれいですし、鳥の飛ぶ影が揺れて春っぽいです。
車の音が次第に遠くなっていきます。
別世界の様です。
が。
「金野さん、まって……」
金野さんはもう見えません。ひと折り上の端から声がします。
「先いってっからやー」
ひどい。
あなたはちょっとウンザリしました。
足痛いし、坂きついし、もう自分の息の音しかきこえないし、足下の石しか見たくもないし、ここ、普通にガチで山だし。
金野さんは先行っちゃうし、なんだこれ。
でも歩くしかないから歩いて、そしてあなたはふと顔を上げます。
満開の桜が覆う青空。
海の気配のする風景。
緑の山。
国道。町。
ほら、もうすこしですよ、がんばりましょう。
年越しには、凍結したこの坂を、子供たちが御幣を持って歩きます。
甘酒や御神酒のふるまいがあり、田楽味噌のつけられる煮込みこんにゃくがあります。
当然イカやホタテも屋台が出ますよ。賑やかなものです。
「い、い、い、たい、足」
なんとか登り切ると、そこには少し遊具があって、砂場があって、境内があって、神殿があります。
満開の桜と、手作りの沢山の鯉のぼり。
「わー」
「子供会のやつだ。めんこいべ」
「ですねー」
桜と鯉のぼり。白っぽい青空と風。
金野さんは遊具のバネ馬に乗っています。
「あーでも、つかれたー。すごいですね、ここのひとみんなこんな坂登るんです……か」
「んだよ。あれ、なじょした、目こすって。砂入ったべが」
「いえ、あの! すみません、なんか、そこに、駐車場が見える! 車とか駐めて! あるし! 細いけど舗装道路がッ」
「うん、旭町からまわるの」
「うんじゃないし! バイクはなんのためにあるんですか!」
「アハハー、おんもしれぇ顔だやー」
金野さんはゲラゲラ笑っています。
女子たちはひとかたまりになってケータイで何かかちかちやっています。
「iPodほしいなや」
「おら家のカーチャン買ってけんないもん。」
「パソコンいじりてぇよ。ほんで」
「出会い系」
「出会い系登録すっぺよー」
「彼氏ゲットだじゃい」
「やんたー。ほんでアレだべ悪いのにひっかかるんだない」
「まりちゃん、ダメだよ! おれどともだちだよ!?」
「ゆきちゃん!」
「なにや、出会い系全部犯罪の温床が。ねーがらやい。まずiPodどパケホー登録代がねーがらやい」
キャアキャア楽しそうです。
天気のいい昼間です。
君たち学校どうしたの……。
まずは息を整えましょう。
お疲れ様です。
つづく
ひとのいない、明るい通りを歩いて、あなたと金野さんは国道を渡ります。
国道は車通りが多い四車線の道です。
金野さんは、途中の民家に荷物を預けて身軽です。
「あ、それ聖ハリストス教会。珍しい建物だべ」
金野さんが指差したのは、小さい、小屋のような木造建築です。
確かに、珍しくはありますが。洋風ではありますが。……小さいです。
「でむこうのがあたらしいやつ」
国道を挟んで向かい。白い壁の教会があります。
ああ。ちゃんと大きい教会です。よかった。
「んであっちがお寺さん。興味あれば行くど。いい建築だど」
あれ?
「……で、天照大神?」
「んだ」
「一カ所……」
「まどまってで便利だ。ホラ信号変わったど」
横断歩道を渡って、山の麓に立ちます。
そそり立つような斜面に、桜が立ち並び、鳥の鳴き声がします。
太陽に温められた草と木と土の薫り。
後ろを行く車の排気ガス。
「……のぼ」
「るど?」
「あし……」
「でだよ?」
ですよね……。とあなたは思い、右を見て、左を見ます。
「どっ……」
「ちでもかまわねぇよ」
右手にはまっすぐ切ってある階段。左手はつづら折りの道です。
「……階段上がれるんですかそれ。一段の段差きつくないですか」
とか言っている間に、自転車を置いた中学生らしい子達が現れて、キャーキャー言いながら駆け上がっていきました。ミニスカ女子たちです。
「余裕だでば」
「無理。斜面にします」
「なんだこっちいったらぱんつ見られるかもしんねぇど」
「いいですよそんなの。ってもう、あのこたちすごい上じゃないですか!」
「まああんなもんだ。いくどー。20分ぐらいだよ」
「……はい」
っていうことは、結構あるなとあなたは思います。
けれど、砂利のある急勾配の斜めの道は、桜の花の下、揺れる影がきれいですし、鳥の飛ぶ影が揺れて春っぽいです。
車の音が次第に遠くなっていきます。
別世界の様です。
が。
「金野さん、まって……」
金野さんはもう見えません。ひと折り上の端から声がします。
「先いってっからやー」
ひどい。
あなたはちょっとウンザリしました。
足痛いし、坂きついし、もう自分の息の音しかきこえないし、足下の石しか見たくもないし、ここ、普通にガチで山だし。
金野さんは先行っちゃうし、なんだこれ。
でも歩くしかないから歩いて、そしてあなたはふと顔を上げます。
満開の桜が覆う青空。
海の気配のする風景。
緑の山。
国道。町。
ほら、もうすこしですよ、がんばりましょう。
年越しには、凍結したこの坂を、子供たちが御幣を持って歩きます。
甘酒や御神酒のふるまいがあり、田楽味噌のつけられる煮込みこんにゃくがあります。
当然イカやホタテも屋台が出ますよ。賑やかなものです。
「い、い、い、たい、足」
なんとか登り切ると、そこには少し遊具があって、砂場があって、境内があって、神殿があります。
満開の桜と、手作りの沢山の鯉のぼり。
「わー」
「子供会のやつだ。めんこいべ」
「ですねー」
桜と鯉のぼり。白っぽい青空と風。
金野さんは遊具のバネ馬に乗っています。
「あーでも、つかれたー。すごいですね、ここのひとみんなこんな坂登るんです……か」
「んだよ。あれ、なじょした、目こすって。砂入ったべが」
「いえ、あの! すみません、なんか、そこに、駐車場が見える! 車とか駐めて! あるし! 細いけど舗装道路がッ」
「うん、旭町からまわるの」
「うんじゃないし! バイクはなんのためにあるんですか!」
「アハハー、おんもしれぇ顔だやー」
金野さんはゲラゲラ笑っています。
女子たちはひとかたまりになってケータイで何かかちかちやっています。
「iPodほしいなや」
「おら家のカーチャン買ってけんないもん。」
「パソコンいじりてぇよ。ほんで」
「出会い系」
「出会い系登録すっぺよー」
「彼氏ゲットだじゃい」
「やんたー。ほんでアレだべ悪いのにひっかかるんだない」
「まりちゃん、ダメだよ! おれどともだちだよ!?」
「ゆきちゃん!」
「なにや、出会い系全部犯罪の温床が。ねーがらやい。まずiPodどパケホー登録代がねーがらやい」
キャアキャア楽しそうです。
天気のいい昼間です。
君たち学校どうしたの……。
まずは息を整えましょう。
お疲れ様です。
つづく
2011年9月12日月曜日
第十一回 観光しましょう・盛の朝市
「はいただいまよー」
金野さんはからららと玄関の戸を開けて中に入ります。
やっぱり鍵はかけていないようです。
「あんだこれからなじょするにしろ、一回荷物おがいや」
これからどうするにしろ、確かに荷物は邪魔ですね。
「あ、は、はあ。ありがとうございます」
外があんまりあかるくて、家の中が真っ暗に見えます。
あまり立派な家ではありませんが、大きな家です。
「なんか、行きたいどこある?」
「え、あ、えと」
ふとおばあさまの顔が思い浮かびます。
「朝市」
金野さんは腕時計を見て言います。
「ハイハイ。おらもついでに塩雲丹でも買うべがな。ほんだらもっかいバイク乗らい」
「はい」
「あとコレ持って」
空のリュックを渡されました。何となく、背負いました。
また同じ道を通って、駅前を過ぎてすぐの所の道で、朝市は開かれていました。
車を通行止めにして、のんびりとした雰囲気です。
金野さんは空き地にバイクを停めました。
海産物や花や、野菜や果物や乾物やちょっとした小物、お菓子や生活用品が並べられていますが、そんなに客もおらず、空が青いばかりで、朝市の活気と言うものには程遠い様子です。
もっとこう、呼び込みとか、人でごったがえしたりとか。
あなたはそう思いますが、全くありません。
おじさんやおばさんが、売り物の後ろで物の整理をしていたり、世間話をしていたりしますが、基本とても静かです。
海産物には蠅がつき、それを手で払ったりしています。
客はそれを気にもせずに買います。
「蠅」
ついあなたは呟き、金野さんは眉を寄せます。
「あん」
「魚に蠅着いたのに買った」
「あそこの魚いいんだ。いいのばり持って来でるし安い」
「だって蠅着いたのに」
「港でも船でもつくべよそんなもの」
「きっ汚いじゃないですか」
金野さんは面倒くさそうに言います。
「お前パックに入ったまま魚海さいねぇど食えねぇの? 気になるなら洗って焼いだらいいべ」
「や、野菜だって土着いてたら敬遠されるでしょ」
「もやしとカイワレばり食べらいや。土からでねぇでどっからでるのよ」
「よく洗って売ったらいいじゃないですか」
「その分高くなってうまぐなぐなるんだ。わがるべ」
まぁ。
言われればそう。
だな。とあなたは思います。
「と、いうわげで夕飯ばその蠅のついだカレイの干物にするべが。とーさんそれけらい。なんぼだれ」
「うわ意地悪だな」
あなたの呟きは無視され、お店の人が挨拶もせずに言います。
「あれ金野さんホヤあるぞ」
「何や夏でもねーのに」
「海流変化だべ。一カ所だげだ。こどし夏早ぇぞ。ほんでそれがらさむぐなって、まだ夏だあづいぞ」
「そうが、ほんだら台風でがいべな。株買うべが長谷工とがのよ」
「いいんでないの儲けらい」
がははと二人は笑い、あなたはふと、先刻の乾物やさんを見つけます。
「あ、あの、さっきは」
「あら来たのォ」
おばあちゃんが笑います。
「トトロ昆布けっから湯餅にせらい。お肌にいいよ」
ゆもちってなんだろう。と思ってるうちにビニールにいれられます。
「あああ、いや、買います!」
「いいんだでば売るほどあっぺし」
おばあさんはケラケラ笑います。もらわないと収まらないようです。
「じゃぁ……ゆもちにします……ありがとうございます」
「ハイハイ」
おばあさんは笑って、折りたたみ椅子に座ります。
「こっちござい。背中向けて」
金野さんに唐突に言われます。なにかと思ったら、買った物をどんどん突っ込まれました。
「なに、なんですか」
「魚たべーほやだべーわかめだべー林檎だべーらくがんだべー大福だべー? 菜っ葉だべ芋だべ布草履だべー茶ッパのいいのだべ、湯飲みだべ箸だべ今日発売のエロ本だべ」
「食べ物く、くさらないかな」
「預けるがら平気だ。よし、ほんだら観光だ。天神山と今出山と五葉山と碁石と吉浜まわるべがー」
「や、や、山がみっつ、あったですよね今」
「なに、一個はすぐだ。アレさ」
金野さんは、朝市の道の向こう、斜面が全部満開の桜で、つづら折りの道にピンクの提灯が飾られた山を指差しました。
「お参り行くべぇよー。祭神天照大神様だでは」
続く。
「はいただいまよー」
金野さんはからららと玄関の戸を開けて中に入ります。
やっぱり鍵はかけていないようです。
「あんだこれからなじょするにしろ、一回荷物おがいや」
これからどうするにしろ、確かに荷物は邪魔ですね。
「あ、は、はあ。ありがとうございます」
外があんまりあかるくて、家の中が真っ暗に見えます。
あまり立派な家ではありませんが、大きな家です。
「なんか、行きたいどこある?」
「え、あ、えと」
ふとおばあさまの顔が思い浮かびます。
「朝市」
金野さんは腕時計を見て言います。
「ハイハイ。おらもついでに塩雲丹でも買うべがな。ほんだらもっかいバイク乗らい」
「はい」
「あとコレ持って」
空のリュックを渡されました。何となく、背負いました。
また同じ道を通って、駅前を過ぎてすぐの所の道で、朝市は開かれていました。
車を通行止めにして、のんびりとした雰囲気です。
金野さんは空き地にバイクを停めました。
海産物や花や、野菜や果物や乾物やちょっとした小物、お菓子や生活用品が並べられていますが、そんなに客もおらず、空が青いばかりで、朝市の活気と言うものには程遠い様子です。
もっとこう、呼び込みとか、人でごったがえしたりとか。
あなたはそう思いますが、全くありません。
おじさんやおばさんが、売り物の後ろで物の整理をしていたり、世間話をしていたりしますが、基本とても静かです。
海産物には蠅がつき、それを手で払ったりしています。
客はそれを気にもせずに買います。
「蠅」
ついあなたは呟き、金野さんは眉を寄せます。
「あん」
「魚に蠅着いたのに買った」
「あそこの魚いいんだ。いいのばり持って来でるし安い」
「だって蠅着いたのに」
「港でも船でもつくべよそんなもの」
「きっ汚いじゃないですか」
金野さんは面倒くさそうに言います。
「お前パックに入ったまま魚海さいねぇど食えねぇの? 気になるなら洗って焼いだらいいべ」
「や、野菜だって土着いてたら敬遠されるでしょ」
「もやしとカイワレばり食べらいや。土からでねぇでどっからでるのよ」
「よく洗って売ったらいいじゃないですか」
「その分高くなってうまぐなぐなるんだ。わがるべ」
まぁ。
言われればそう。
だな。とあなたは思います。
「と、いうわげで夕飯ばその蠅のついだカレイの干物にするべが。とーさんそれけらい。なんぼだれ」
「うわ意地悪だな」
あなたの呟きは無視され、お店の人が挨拶もせずに言います。
「あれ金野さんホヤあるぞ」
「何や夏でもねーのに」
「海流変化だべ。一カ所だげだ。こどし夏早ぇぞ。ほんでそれがらさむぐなって、まだ夏だあづいぞ」
「そうが、ほんだら台風でがいべな。株買うべが長谷工とがのよ」
「いいんでないの儲けらい」
がははと二人は笑い、あなたはふと、先刻の乾物やさんを見つけます。
「あ、あの、さっきは」
「あら来たのォ」
おばあちゃんが笑います。
「トトロ昆布けっから湯餅にせらい。お肌にいいよ」
ゆもちってなんだろう。と思ってるうちにビニールにいれられます。
「あああ、いや、買います!」
「いいんだでば売るほどあっぺし」
おばあさんはケラケラ笑います。もらわないと収まらないようです。
「じゃぁ……ゆもちにします……ありがとうございます」
「ハイハイ」
おばあさんは笑って、折りたたみ椅子に座ります。
「こっちござい。背中向けて」
金野さんに唐突に言われます。なにかと思ったら、買った物をどんどん突っ込まれました。
「なに、なんですか」
「魚たべーほやだべーわかめだべー林檎だべーらくがんだべー大福だべー? 菜っ葉だべ芋だべ布草履だべー茶ッパのいいのだべ、湯飲みだべ箸だべ今日発売のエロ本だべ」
「食べ物く、くさらないかな」
「預けるがら平気だ。よし、ほんだら観光だ。天神山と今出山と五葉山と碁石と吉浜まわるべがー」
「や、や、山がみっつ、あったですよね今」
「なに、一個はすぐだ。アレさ」
金野さんは、朝市の道の向こう、斜面が全部満開の桜で、つづら折りの道にピンクの提灯が飾られた山を指差しました。
「お参り行くべぇよー。祭神天照大神様だでは」
続く。
2011年8月11日木曜日
第十回 終点 盛
「1万トン?」
あなたの問いにおばあちゃんはうなずきます。電車は海を見おろす場所から、住宅街に滑るように降りていきます。
「でっけぇ舟が着くのさ。外国のな。ここさつけて、車で内陸にもってくのね」
「飛行機、とかは」
「量があるのはやっぱり舟になるんでないの。油やら鉄鋼やらよ」
カモメが舞う町です。
二階建てほどの庭付きの木造建築が並び、花が咲き誇っています。
「あっこいのぼり……」
洗濯物の干してある庭に立てられた棹。
その先に鯉のぼりが踊っています。
踏切を通るときには大きな道が横切っていて、かんかん鳴る警報機がドップラー現象で後ろに去っていきます。
自転車やバイクにのったひとが、待っているのも見えます。
一際大きな看板が見えます。コミックのようなカモメのキャラクター。
「あ、知ってる。かもめの卵ですよね」
「そうそう。さいとう製菓さんな。ほかのも可愛らしくておれすきなのよう。かもめの卵もな、本店でできたて買うと、なかのあんこがほわほわしててうんめぇんだぁ」
「へえ」
「あどな、壺屋のゆべしとつぼつぼ最中。あと佐藤屋の柿羊羹。テラサワのバナナボートもうんめぇなぁ。あれ、テラサワさんばやめたんだったがな」
「いろいろあるんですね」
「ほんだよー。食べてがいね。あどガガニゴもうめぇなぁ」
「がっ。ガガニゴ?」
「ハイ。お獅子のな形してでな」
左手にのしかかるような崖が現れました。右手は市街地です。
「うわこれなんだ」
「あー山けずらないと、道もなにもとおせないもの。リアス式だがらね」
そんなもんなんだ。
とぽかんとしている間に川を渡ります。
「盛川だよ」
「……なんかくさいんですけど」
「アマタケブロイラーの工場そこなのだよ。随分よくなったよにおい」
ブロイラー。
肉の加工工場ですね。
アマタケブロイラーさんは全国に出荷している鶏肉の加工業者さんです。
やがて、車内アナウンスが流れ、車内が慌ただしくなります。
それぞれが荷物を持ち、あるいは上着を着ます。
風が吹くと桜が散ります。
「着くよ。ほんだらばーちゃん市場に行くから。昼までいるから」
おばあさんは手を出してくれました。
あなたは何となくその手を取ります。
おばあさんは両手で握ってくれました。
しわだらけで、乾いていて、少し荒れた手です。
「気をつけてね」
「ありがとうございます」
電車は緑の中を減速し始めます。
やがて停まります。
『終点、盛。盛に到着です。この先には電車は参りません。どなたさまもお気をつけてお降りください。また、三陸鉄道への乗り換えは改札を出て右でございます』
「三陸鉄道?」
「ああ、第三セクターでやってんの。釜石、宮古、山田と行くの。よく風にツッ飛ばされるけどあるど便利だな」
海風の強いところがあるので、三陸鉄道は車両が吹き飛ばされたことがあります。
あなたは上着を着て荷物を持ちます。
おばあちゃんは自分の三杯はありそうな柳行李を詰んで紐で縛った荷物をしょってすたすた歩いて去ってしまいました。
最後になってしまいましたがあなたも電車を降りましょう。
なんというか。
平たい駅です。
線路をまたいでホームがあります。
貨物列車が止まっていて、とても静かです。鳥の声がします。
降りたホームからそのまま出られるようです。
白く塗られた壁のペンキが、所々剥げています。
切符をとってもらつて改札をぬけると、待合室です。
コンクリートの床に木の壁。
切符の販売機に窓口。
ポスターが貼ってあります。暗いそこを抜けると、あかるい広場です。
タクシーが何台かいて、バス停があります。
まっすぐに伸びて、山に当たる広い道。その山沿いに交通量の多い道路があります
ですがそこまでの道になぜは人気はあまりなく、道は静かに光っています。
あなたはあたりを見まわします。
なぜかアメリカンチョッパーのバイクがあります。
ヘルメットを被ったサングラスの革ジャンの男性がいます。背が高いです。日焼けをしています。デビット 伊東に似ています。
近づいてきます。
なんでしたっけね、名前。
「あの」
あちらから話しかけてきました。
「高田の斉藤さんから電話来たんだけんども」
「あ! はい! 松栄丸の!!」
おじさんが笑います。
「んだんだ。おれ、金野というの。若い人むけの宿やろうと思ってて、意見聞かせて欲しいのよ。色々案内もするはんで、話きかせでけらい。2日3日泊まれるべがね。そうだど俺ば助かるんだどもよ。話きけで」
「あっこちらこそよろしくお願いします」
「いがった。ほんだらちょっと荷物置きにうちにいくべがね。後ろ乗らい」
うし。
ろ。
金野さんは平然とバイクにまたがり、ヘルメットを差し出します。
あなたは受け取ってヘルメットをかぶります。
金野さんはエンジンをかけます。
ドボドボドボと音がします。
あなたは後ろに乗ってつかまり、バイクは進みます。
駅前を抜けて国道に入ります。
四車線。やはり山を掘って作った道だと分かります。半分になった山の上に鳥居。
バイクは曲がり、細い道に入ります。左右に住宅があって、どんどん鬱蒼としていきます。
やがてすっかり山の中になりました。舗装道路もなくなります。両側が雑木の山で、春の色彩に満ちています。
バイクは一件の家の前に停まりました。下に川が流れています。山の斜面は菜の花畑です。
エンジンを切ると、物凄く静かです。
鶯が鳴きました。
車窓からみた、若い緑の林の中に、あなたは今立っています。
続く。
2011年7月11日月曜日
第九回 大船渡湾
日が昇ればあっさりと一日が始まります。
車の往来も増え、自転車も多くなります。
あなたは靴底について取れない砂を感じながらペダルを漕ぎ、そして斉藤さんの家に向かいます。
と、斉藤さんのかーさんが、あなたの荷物を持って、門前に立っていました。
「え、え、なん、どうしたんですか」
あなたは自転車から降りて押して歩き寄ります。
斉藤さんのかーさんが、あなたに荷物を差し出して言います。
「いそがい」
「は?」
「あと五分で汽車でるんだ」
「は!?」
「ほんで盛駅に、迎え待ってるはんで」
「はああ!?」
「かだるの忘れでだよ。ほら駆けらい」
「えっ、お礼とか村上さんとか」
「いいがら! とーさんにおれごせやがれっがらほれ!」
言われてあなたは走り出します。
わけがわかりませんが、5分後に電車がでます。
それだけは理解しました。
リュックをしょって、走り出します。
「あり、ありが」
「行がいほら!! 駆けらい!!」
叱られました。
舗装道路をかけて、広場とモニュメントのある陸前高田の駅にたどり着きます。電車がすでにいます。ベルが鳴っています。
「うわぁあ、待って、乗り、乗ります!!」
駅員さんに言うと、
「あっ、急いで下さい。盛駅で精算でぎっがらこれ持って」
と、券を渡されて、駅員さんが言います。
「待ってー。一人行ぎますー」
あなたは、電車に駆け込みます。
間に合った。と、息を整えると、扉が閉まります。
ごどり、と電車が動いて、うんうんとモーターが鳴り、電車は進みます。
電車の中はそこそこ人がいます。なぜか、お年寄りが多く、荷物が多いです。座る場所を探していると、
「こっちござい」
と、おばあさんに呼ばれました。
「あ、すみませ……」
「窓際ござい」
「え」
またこれか! とあなたは正直思うでしょう。
「海」
「は」
「海みえっからほれ」
「は、はい……」
あなたは抵抗せずに座ります。
まぁ、海、見たいし。
座れば、やはり新緑の山です。海沿いだなんて信じられない車窓の風景です。
「あの、荷物、大きいですね」
「おれ、乾物屋なの」
「はあ」
「ばあちゃんとこのな、息子がこれつぐってんのよ」
「はい」
「わかめだの、まつもだの。便利なんだー。するめもあるよ」
「はあ」
「ばあちゃん、これ、売りにいくの」
「え、た、たいへんなんじゃ」
「もうずーっとやってっからねぇ。やんないほうがやんたくでねぇ」
「家でテレビでも」
「ボケる」
「は」
「認知症になってしまう」
「そ、そう、です、か」
「70も越えるとよー。テレビもあきるのよ。やっぱ仕事だでばぁ。おれ、乾物屋なのだもの」
おばあちゃんは笑います。小さな身体で、皺だらけの手で、洗って日に干したとわかるスモックを着ています。手首にゴムの入った、動きやすそうなものです。
「盛でね」
「はあ」
「朝市があるの」
「はい」
「ばあちゃん売りに行くの」
「はい」
「寄れたら、寄らいね」
「はい」
「サービスするがらね」
「買います」
「あらうれしい。ホタテの干物がおいしいのよ。高いけんどもね」
「買います」
「ああ、ホラ来たよ」
「え」
「下見てごらん」
言われて窓の下を見ます。
コワイ。
ナニコレ。
断崖絶壁を電車が走っています。覗き込むと遙か彼方の地面が見えます。
「大丈夫なんですかこれ」
「仕方ないのよ。海でなければ山なのだもの」
「……いろいろ大変ですね。あの、もっと楽なとことか住まないんですか」
「ふるさとだものよう。おら、ここで死ぬのだもの。なじょにでもするがらいいのよ」
おばあさんは笑っています。
「ほら」
わあっと車内が明るくなります。
広々とした景色が広がります。
海です。
目が開くような、胸がすくような、そんな景色です。
天気がよくて空も海も真っ青です。
緑と桃色の島が浮き、対岸の山も春の色です。
白い海鳥が飛び交い、養殖筏が整然と並んでいます。小さな家が、細い道の端にびっしりと建っています
「大船渡湾だよ」
「わあ」
「きれいだべ。あそこの岬にはね、大船渡グランドホテルがあったんだけどなんでか潰れたね」
「はあ」
あなたは、遠くにある長い塀のような建築物と、その端に建つ灯台を見ます。
なんだろうあれ。
湾の端と端から海の中に出ているコンクリートの無骨な塀です。
あれが海底から出ているとすると、とんでもない大きさです。
「あれ、なんですか」
「あれ、湾口防波堤」
「防波堤」
「うん。津波、ひどいからね。おれ、チリの時みたもの」
「はあ」
「ほんで、あれがね、小野田さん」
「え」
「あそこの、紅白のしましまのえんとつ。小野田セメントさん。裏の山白いべ? あれね、セメントにする石灰岩とってるの」
「はあ……それで、懐かしい景色が壊れていくとか」
おばあさんがしゃしゃしゃと笑います。
「景色など、かわるものだ。街の景気がいくなればいいのだ」
「そ、そんなもの、ですか」
「ほんだよう。ほんで、あれが魚市場で、ほら鳥山あるべ」
「ほんとだ」
細長い屋根の上に大船渡魚市場と書いてある建物があって、その一隅に白い鳥が山のようになっています。
「市がおわったので、魚すててるの。ほんで鳥がきてるの」
「もったいなくないですか!」
「ほんだってあんたがたがかわないんだもの。しかたねぇべよ。こっちさ文句言われでもかなわないよ。もっと、形のそろわないのだの買ってくれだらいいのよ」
「え、だって、スーパーにそもそもない……」
「売れないからだもの」
「……はぁ」
「そんなこといわれても、って顔だね」
「はあ」
「おれだづも思うよ。そんなこといわれでもどな」
「……はぁ」
「ほんであれが1万トン岸壁」
おばあちゃんのガイドは続きます。
続く。
日が昇ればあっさりと一日が始まります。
車の往来も増え、自転車も多くなります。
あなたは靴底について取れない砂を感じながらペダルを漕ぎ、そして斉藤さんの家に向かいます。
と、斉藤さんのかーさんが、あなたの荷物を持って、門前に立っていました。
「え、え、なん、どうしたんですか」
あなたは自転車から降りて押して歩き寄ります。
斉藤さんのかーさんが、あなたに荷物を差し出して言います。
「いそがい」
「は?」
「あと五分で汽車でるんだ」
「は!?」
「ほんで盛駅に、迎え待ってるはんで」
「はああ!?」
「かだるの忘れでだよ。ほら駆けらい」
「えっ、お礼とか村上さんとか」
「いいがら! とーさんにおれごせやがれっがらほれ!」
言われてあなたは走り出します。
わけがわかりませんが、5分後に電車がでます。
それだけは理解しました。
リュックをしょって、走り出します。
「あり、ありが」
「行がいほら!! 駆けらい!!」
叱られました。
舗装道路をかけて、広場とモニュメントのある陸前高田の駅にたどり着きます。電車がすでにいます。ベルが鳴っています。
「うわぁあ、待って、乗り、乗ります!!」
駅員さんに言うと、
「あっ、急いで下さい。盛駅で精算でぎっがらこれ持って」
と、券を渡されて、駅員さんが言います。
「待ってー。一人行ぎますー」
あなたは、電車に駆け込みます。
間に合った。と、息を整えると、扉が閉まります。
ごどり、と電車が動いて、うんうんとモーターが鳴り、電車は進みます。
電車の中はそこそこ人がいます。なぜか、お年寄りが多く、荷物が多いです。座る場所を探していると、
「こっちござい」
と、おばあさんに呼ばれました。
「あ、すみませ……」
「窓際ござい」
「え」
またこれか! とあなたは正直思うでしょう。
「海」
「は」
「海みえっからほれ」
「は、はい……」
あなたは抵抗せずに座ります。
まぁ、海、見たいし。
座れば、やはり新緑の山です。海沿いだなんて信じられない車窓の風景です。
「あの、荷物、大きいですね」
「おれ、乾物屋なの」
「はあ」
「ばあちゃんとこのな、息子がこれつぐってんのよ」
「はい」
「わかめだの、まつもだの。便利なんだー。するめもあるよ」
「はあ」
「ばあちゃん、これ、売りにいくの」
「え、た、たいへんなんじゃ」
「もうずーっとやってっからねぇ。やんないほうがやんたくでねぇ」
「家でテレビでも」
「ボケる」
「は」
「認知症になってしまう」
「そ、そう、です、か」
「70も越えるとよー。テレビもあきるのよ。やっぱ仕事だでばぁ。おれ、乾物屋なのだもの」
おばあちゃんは笑います。小さな身体で、皺だらけの手で、洗って日に干したとわかるスモックを着ています。手首にゴムの入った、動きやすそうなものです。
「盛でね」
「はあ」
「朝市があるの」
「はい」
「ばあちゃん売りに行くの」
「はい」
「寄れたら、寄らいね」
「はい」
「サービスするがらね」
「買います」
「あらうれしい。ホタテの干物がおいしいのよ。高いけんどもね」
「買います」
「ああ、ホラ来たよ」
「え」
「下見てごらん」
言われて窓の下を見ます。
コワイ。
ナニコレ。
断崖絶壁を電車が走っています。覗き込むと遙か彼方の地面が見えます。
「大丈夫なんですかこれ」
「仕方ないのよ。海でなければ山なのだもの」
「……いろいろ大変ですね。あの、もっと楽なとことか住まないんですか」
「ふるさとだものよう。おら、ここで死ぬのだもの。なじょにでもするがらいいのよ」
おばあさんは笑っています。
「ほら」
わあっと車内が明るくなります。
広々とした景色が広がります。
海です。
目が開くような、胸がすくような、そんな景色です。
天気がよくて空も海も真っ青です。
緑と桃色の島が浮き、対岸の山も春の色です。
白い海鳥が飛び交い、養殖筏が整然と並んでいます。小さな家が、細い道の端にびっしりと建っています
「大船渡湾だよ」
「わあ」
「きれいだべ。あそこの岬にはね、大船渡グランドホテルがあったんだけどなんでか潰れたね」
「はあ」
あなたは、遠くにある長い塀のような建築物と、その端に建つ灯台を見ます。
なんだろうあれ。
湾の端と端から海の中に出ているコンクリートの無骨な塀です。
あれが海底から出ているとすると、とんでもない大きさです。
「あれ、なんですか」
「あれ、湾口防波堤」
「防波堤」
「うん。津波、ひどいからね。おれ、チリの時みたもの」
「はあ」
「ほんで、あれがね、小野田さん」
「え」
「あそこの、紅白のしましまのえんとつ。小野田セメントさん。裏の山白いべ? あれね、セメントにする石灰岩とってるの」
「はあ……それで、懐かしい景色が壊れていくとか」
おばあさんがしゃしゃしゃと笑います。
「景色など、かわるものだ。街の景気がいくなればいいのだ」
「そ、そんなもの、ですか」
「ほんだよう。ほんで、あれが魚市場で、ほら鳥山あるべ」
「ほんとだ」
細長い屋根の上に大船渡魚市場と書いてある建物があって、その一隅に白い鳥が山のようになっています。
「市がおわったので、魚すててるの。ほんで鳥がきてるの」
「もったいなくないですか!」
「ほんだってあんたがたがかわないんだもの。しかたねぇべよ。こっちさ文句言われでもかなわないよ。もっと、形のそろわないのだの買ってくれだらいいのよ」
「え、だって、スーパーにそもそもない……」
「売れないからだもの」
「……はぁ」
「そんなこといわれても、って顔だね」
「はあ」
「おれだづも思うよ。そんなこといわれでもどな」
「……はぁ」
「ほんであれが1万トン岸壁」
おばあちゃんのガイドは続きます。
続く。
2011年6月11日土曜日
第八回 高田松原
国道45号線から海の方へと続く道。
細い舗装道路には、吹き寄せられた砂がたまって、それを踏む自転車のタイヤがしゃりしゃりします。
高いコンクリートの防波堤に寄せるように自転車をとる、鍵をかけます。
水門は開けられていますが、上れそうなので上ってみます。
靄がかかっています。
波の音がします。
防波堤をころがりそうになりながら駆け下りて、足をつくとそこは松林の砂です。
雑草がぽそぽそと生えていて、松の香りが立ちます。
防波堤の中に入ったので、更に波の音が強くなります。
どん
ぱ
ざーん
どどん
どん
ぱ
ざざん
靄は濃く、白く、曲がりながら伸びる松の間に密集して動きません。
息が詰まるようです。
波音に引かれて歩きます。
じゃっ
じゃりっ
靴の下で砂が鳴ります。
生臭いような潮の香りがします。
靄は冷たく、身体にまといつきます。
なにか、世界が滅んだようです。
上を見れば、松が露を貯めてしん、と立っています。
鳥も飛ばず、風も吹きません。
松林を抜けると砂浜です。
広い長い砂浜も靄です。
夜が明けかけていて空が白く、晴れだか曇りだかまだわかりません。
どどろどん
遠くで、大きな太鼓のような音がして、大きな波が押し寄せて波頭が
ぱっ
と散って
どばーん
と崩れ落ちて
じゃわぁあああと広がって透明の水を広げて砂を巻き込みます。
ざざざざざ
かららららら
と砂や小石が巻いて寄せられ、砂で泡が立てられてソーダ水のように弾けて消えて行きます。
しゅわわわ
そして波は砂や小石を残して去り、また沖でどー……んと音がします。
空はどんどん明るくなります。
やはり、世界がとまったようです。
あ、と、あなたは気がつきます。
風がないんだ。
朝の凪です。
砂浜は靄の湿気を吸って重く、足が沈んで歩きにくいです。
打ち上げられた流木や海草、ゴミがあって、絵に描いたようには美しくはありません。
遠くで車のエンジン音がします。
波の音が延々と続きます。
息をするのがこわいようです。
海の色は判りません。
唐突に靄が動きます。
切り裂かれるように風が吹いて、靄を追い散らします。
ひょおお、と風が鳴って、松林がざざざと揺れて、靄を追い払っていきます。
鳥が鳴きます。
一斉に羽音がします。
雀やかもめや海猫や海鵜がとびまわります。
重い靄を追い払います。
この風はどこから、と疑問に思うほど唐突です。
そしてあなたは理解します。
東から一息に走る光。
夜明けです。
真っ赤な太陽が、最初は点として現れ、それから線になって。
先に温められた海が、風を起こして靄を払ったのです。
沖に漁船が見えます。何隻も。
もっと沖を目指して走ります。
養殖棚も見えます。
太陽が登ります。
世界に色がつきます。
海が輝きます。
山が春の緑です。
松は常緑に輝いています。
波頭が金色です。
やがて太陽が登って、今日は快晴だと見える頃には
真っ青な海です。
ところどころは緑色のまっさおな美しい海です。
松の香りがします。
心地よい風が吹き渡っています。
波が
波音が天に弾けます。
あなたはふと気を取り直して海に背中を向けます。
砂を踏んで歩き、コンクリートの歩道を踏み越えて、松林に入ります。
黒松が並んでいます。朝の光に長い影を落とし、縞模様を作っています。
左右に目をやると、整然とした美しさがあります。
下生えに、黄色い可憐な花が咲いています。
緑が鮮やかです。
堤防まで歩き、堤防に登って松原を見渡します。
夏には薄い桃色の昼顔、薄い黄色の待宵草が咲き乱れます。
海の家もあり、シャワー施設も、キャンプ場もあります。
子供たちは毎年、夏になるとこの海岸に来るのが楽しみです。
大人達も昔子供だったので、ここに来るのが楽しみです。
続く。
国道45号線から海の方へと続く道。
細い舗装道路には、吹き寄せられた砂がたまって、それを踏む自転車のタイヤがしゃりしゃりします。
高いコンクリートの防波堤に寄せるように自転車をとる、鍵をかけます。
水門は開けられていますが、上れそうなので上ってみます。
靄がかかっています。
波の音がします。
防波堤をころがりそうになりながら駆け下りて、足をつくとそこは松林の砂です。
雑草がぽそぽそと生えていて、松の香りが立ちます。
防波堤の中に入ったので、更に波の音が強くなります。
どん
ぱ
ざーん
どどん
どん
ぱ
ざざん
靄は濃く、白く、曲がりながら伸びる松の間に密集して動きません。
息が詰まるようです。
波音に引かれて歩きます。
じゃっ
じゃりっ
靴の下で砂が鳴ります。
生臭いような潮の香りがします。
靄は冷たく、身体にまといつきます。
なにか、世界が滅んだようです。
上を見れば、松が露を貯めてしん、と立っています。
鳥も飛ばず、風も吹きません。
松林を抜けると砂浜です。
広い長い砂浜も靄です。
夜が明けかけていて空が白く、晴れだか曇りだかまだわかりません。
どどろどん
遠くで、大きな太鼓のような音がして、大きな波が押し寄せて波頭が
ぱっ
と散って
どばーん
と崩れ落ちて
じゃわぁあああと広がって透明の水を広げて砂を巻き込みます。
ざざざざざ
かららららら
と砂や小石が巻いて寄せられ、砂で泡が立てられてソーダ水のように弾けて消えて行きます。
しゅわわわ
そして波は砂や小石を残して去り、また沖でどー……んと音がします。
空はどんどん明るくなります。
やはり、世界がとまったようです。
あ、と、あなたは気がつきます。
風がないんだ。
朝の凪です。
砂浜は靄の湿気を吸って重く、足が沈んで歩きにくいです。
打ち上げられた流木や海草、ゴミがあって、絵に描いたようには美しくはありません。
遠くで車のエンジン音がします。
波の音が延々と続きます。
息をするのがこわいようです。
海の色は判りません。
唐突に靄が動きます。
切り裂かれるように風が吹いて、靄を追い散らします。
ひょおお、と風が鳴って、松林がざざざと揺れて、靄を追い払っていきます。
鳥が鳴きます。
一斉に羽音がします。
雀やかもめや海猫や海鵜がとびまわります。
重い靄を追い払います。
この風はどこから、と疑問に思うほど唐突です。
そしてあなたは理解します。
東から一息に走る光。
夜明けです。
真っ赤な太陽が、最初は点として現れ、それから線になって。
先に温められた海が、風を起こして靄を払ったのです。
沖に漁船が見えます。何隻も。
もっと沖を目指して走ります。
養殖棚も見えます。
太陽が登ります。
世界に色がつきます。
海が輝きます。
山が春の緑です。
松は常緑に輝いています。
波頭が金色です。
やがて太陽が登って、今日は快晴だと見える頃には
真っ青な海です。
ところどころは緑色のまっさおな美しい海です。
松の香りがします。
心地よい風が吹き渡っています。
波が
波音が天に弾けます。
あなたはふと気を取り直して海に背中を向けます。
砂を踏んで歩き、コンクリートの歩道を踏み越えて、松林に入ります。
黒松が並んでいます。朝の光に長い影を落とし、縞模様を作っています。
左右に目をやると、整然とした美しさがあります。
下生えに、黄色い可憐な花が咲いています。
緑が鮮やかです。
堤防まで歩き、堤防に登って松原を見渡します。
夏には薄い桃色の昼顔、薄い黄色の待宵草が咲き乱れます。
海の家もあり、シャワー施設も、キャンプ場もあります。
子供たちは毎年、夏になるとこの海岸に来るのが楽しみです。
大人達も昔子供だったので、ここに来るのが楽しみです。
続く。
2011年5月24日火曜日
第七回 陸前高田市での朝食
昨夜はイカげそを食べたら吸盤が口の中にひっついて、偉い目にあってそれをゲラゲラ笑われたなぁ。
と、ぼんやり思いながら貴方は目を醒まします。
温かい布団の中で、知らない家の香りがします。
一階では小さくラジオの音と、人が起きて動いている音がします。
カーテンの隙間から見える空はまだ真っ暗です。
あなたは起き出して電灯をつけ、もそもそ着替えをします。
時計を見るとまだ五時です。
寝ぼけ眼で階下に降りていくと、かーさんがもうぱたぱたと働いていました。
「あらおはよう。なんと早いこと」
ビッグマム斉藤さんが、カーラーのついた頭で挨拶してくれました。
服をちゃんと着て、エプロンもつけているのにカーラーはまだなんだ。
化粧も終わってるのに不思議な感じがしますね。
「おはようございます……」
「村上さん、一回家さ戻ったから。ほら、そっちでテレビ見てらい。顔洗うんだればそっちな。
何使ってもいいから」
「はい、すみません……」
あなたは、トイレに向かって歩きますが、余りに寒くて歯の根が合わないようです。
足下からしんしんと冷えて、トイレで用を足して、洗面所で水を出したら肌が切れそうにつめたい水です。
もう春なのにやはり北ですね。
小走りに居間に行くと、こたつに肩まで潜り込んでホッとします。
盆に朝ご飯をのせたビッグマム斉藤さんがやってきます。
慌てて貴方が起きるのに
「寒いべぇ。どんぶぐもってくっから。これ朝ご飯食べらいな」
と言われ、貴方は礼を言って盆の上のものを見ます。
どんぶぐってなんでしょう。
ごはん、海草のおみそしる、塩を噴いている一切れの魚、卵焼き、三つ葉のおひたし、黄色のたくあん、
それになぜか真っ白で、海苔の入っている……納豆。です。
「はい、これせなかにかけて」
どさりとかけられたのは綿入れ半纏でした。
じんぶぐってこれか。
「ありがとうございます、あったかいです」
と礼をいいましたが、斉藤さんはあっという間に台所です。
「あんだ、ほかになにかいるが?」
「あっいえ、もう充分ですです!」
「今なめたののこりもってくからよ」
聞かない。
ホントにひとのはなししきかない。
斉藤さんは皿に、ナメタカレイの煮付けを盛ってきました。
冷たいままで煮こごりが実においしそうではあります。
「わぁ……いただきます」
「はい」
斉藤さんはラジオを消してテレビをつけました。
まだテレビ放送が始まっていないので、録画していたらしい韓流ドラマです。
あなたは、こんなにいらないのになと思いながら食事をします。
美味しいのですが。
ところで、この塩を噴いている魚を食べてみましょう。
鱒か鮭のようですが。
食べます。
「……ッ」
激しく塩辛いです。
一周して甘いです。
痛いというか一周半して甘すぎて苦いです。
ごはんを食べます。
ごはんってすてき。
お味噌汁ってステキ。
お茶ラブ。
斉藤さんもお茶を飲んでいます。
「こっ、これ、なんですか」
「塩引き。うんめぇべ。ああ、残していいからね」
「あ、は、はい」
美味しいような気も、しなくもないですが、まあともあれ激しいですよね。
そしてあなたはおそるおそる納豆に手を出します。
少しだけごはんにかけます。
なんでこんなに白いんだろう……。
かけて食べます。
なにか、おかしいです。
知らない味です。
甘い……
砂糖醤油の味がします……
「あの……これ……」
「ん?」
「お砂糖……?」
「少ないか」
「いえ、あの、初めてなもんで」
「あらそうなの。うんめぇべ」
なんでそう揺るぎない自信を持っているのかと。
ともあれ、貴方は食事を進めます。
ナメタカレイの煮付けの煮こごりはとても美味しいです。
斉藤さんは
「やんだーあんだーなんでやー」
とかいいながらヨン様を見つつ泣き出しました。
ティッシュで鼻をかんだところを見計らって訊いてみます。
「あの、おじさん達は」
「とうさんがた漁だ。とっくに出たよ。あ、あんだ、壁によ、ダウンジャケットかかってっぺ。
あれ着て、もうすこししたら出らい」
「え」
「松原行がい」
「は、はい……」
なんでこう押してくるんだろう。
思いながらあなたはおそるおそる塩引きをもう一口食べます。
ああっしょっぱくて辛くて甘くて苦い。くせになりそう。
砂糖納豆も食べます。
多分ここのひとはトマトに砂糖なのかなと思いながら。
食べ終わって、食器を流しに置いて、洗って戻ってくると斉藤さんはテレビに釘付けです。
「やんたあんた、どうなるのやー」
ひとりごとです。ヨン様は返事をしません。
「あっじゃぁ、あの、ジャケットお借りしますね」
「はいよー」
ジャケットを手にとって、着込んだ貴方はかなりびっくりします。
だってなんか絶対高いもんこれ。
「あの」
「なにや」
「これ高いんじゃ」
「いいのよ、二着も三着もあるから」
漁師金持ちだなぁ……いや、漁に必要だからなのかな……色々まわりますが、とにかくあなたは
じゃあいってきますと外に出ます。
一応デジカメとお財布は持って行きましょう。
外に出ると、東の空が白んでいます。
鳥の声が騒がしい夜明けです。緩く風が吹いています。
車の音もまばらです。
ちょっと昨日とは別のルートをいってみましょう。
少し漕ぐと、道沿いに古民家が建ち並ぶ道があります。
街はまだ、起きてはいないようですが、ひとの気配はあります。
たまに車が走っています。
冷たい空気が肌を裂くようですが、ジャケットが暖かさを守ってくれています。
国道に出ると、トラックがスピードを出して走っています。
誰も人が通らないのに変わる信号は、少し胸が騒ぐ風景ですね。
交通量は少ないので、あなたは歩道を自転車で行き、高田松原に到着します。
続く。
昨夜はイカげそを食べたら吸盤が口の中にひっついて、偉い目にあってそれをゲラゲラ笑われたなぁ。
と、ぼんやり思いながら貴方は目を醒まします。
温かい布団の中で、知らない家の香りがします。
一階では小さくラジオの音と、人が起きて動いている音がします。
カーテンの隙間から見える空はまだ真っ暗です。
あなたは起き出して電灯をつけ、もそもそ着替えをします。
時計を見るとまだ五時です。
寝ぼけ眼で階下に降りていくと、かーさんがもうぱたぱたと働いていました。
「あらおはよう。なんと早いこと」
ビッグマム斉藤さんが、カーラーのついた頭で挨拶してくれました。
服をちゃんと着て、エプロンもつけているのにカーラーはまだなんだ。
化粧も終わってるのに不思議な感じがしますね。
「おはようございます……」
「村上さん、一回家さ戻ったから。ほら、そっちでテレビ見てらい。顔洗うんだればそっちな。
何使ってもいいから」
「はい、すみません……」
あなたは、トイレに向かって歩きますが、余りに寒くて歯の根が合わないようです。
足下からしんしんと冷えて、トイレで用を足して、洗面所で水を出したら肌が切れそうにつめたい水です。
もう春なのにやはり北ですね。
小走りに居間に行くと、こたつに肩まで潜り込んでホッとします。
盆に朝ご飯をのせたビッグマム斉藤さんがやってきます。
慌てて貴方が起きるのに
「寒いべぇ。どんぶぐもってくっから。これ朝ご飯食べらいな」
と言われ、貴方は礼を言って盆の上のものを見ます。
どんぶぐってなんでしょう。
ごはん、海草のおみそしる、塩を噴いている一切れの魚、卵焼き、三つ葉のおひたし、黄色のたくあん、
それになぜか真っ白で、海苔の入っている……納豆。です。
「はい、これせなかにかけて」
どさりとかけられたのは綿入れ半纏でした。
じんぶぐってこれか。
「ありがとうございます、あったかいです」
と礼をいいましたが、斉藤さんはあっという間に台所です。
「あんだ、ほかになにかいるが?」
「あっいえ、もう充分ですです!」
「今なめたののこりもってくからよ」
聞かない。
ホントにひとのはなししきかない。
斉藤さんは皿に、ナメタカレイの煮付けを盛ってきました。
冷たいままで煮こごりが実においしそうではあります。
「わぁ……いただきます」
「はい」
斉藤さんはラジオを消してテレビをつけました。
まだテレビ放送が始まっていないので、録画していたらしい韓流ドラマです。
あなたは、こんなにいらないのになと思いながら食事をします。
美味しいのですが。
ところで、この塩を噴いている魚を食べてみましょう。
鱒か鮭のようですが。
食べます。
「……ッ」
激しく塩辛いです。
一周して甘いです。
痛いというか一周半して甘すぎて苦いです。
ごはんを食べます。
ごはんってすてき。
お味噌汁ってステキ。
お茶ラブ。
斉藤さんもお茶を飲んでいます。
「こっ、これ、なんですか」
「塩引き。うんめぇべ。ああ、残していいからね」
「あ、は、はい」
美味しいような気も、しなくもないですが、まあともあれ激しいですよね。
そしてあなたはおそるおそる納豆に手を出します。
少しだけごはんにかけます。
なんでこんなに白いんだろう……。
かけて食べます。
なにか、おかしいです。
知らない味です。
甘い……
砂糖醤油の味がします……
「あの……これ……」
「ん?」
「お砂糖……?」
「少ないか」
「いえ、あの、初めてなもんで」
「あらそうなの。うんめぇべ」
なんでそう揺るぎない自信を持っているのかと。
ともあれ、貴方は食事を進めます。
ナメタカレイの煮付けの煮こごりはとても美味しいです。
斉藤さんは
「やんだーあんだーなんでやー」
とかいいながらヨン様を見つつ泣き出しました。
ティッシュで鼻をかんだところを見計らって訊いてみます。
「あの、おじさん達は」
「とうさんがた漁だ。とっくに出たよ。あ、あんだ、壁によ、ダウンジャケットかかってっぺ。
あれ着て、もうすこししたら出らい」
「え」
「松原行がい」
「は、はい……」
なんでこう押してくるんだろう。
思いながらあなたはおそるおそる塩引きをもう一口食べます。
ああっしょっぱくて辛くて甘くて苦い。くせになりそう。
砂糖納豆も食べます。
多分ここのひとはトマトに砂糖なのかなと思いながら。
食べ終わって、食器を流しに置いて、洗って戻ってくると斉藤さんはテレビに釘付けです。
「やんたあんた、どうなるのやー」
ひとりごとです。ヨン様は返事をしません。
「あっじゃぁ、あの、ジャケットお借りしますね」
「はいよー」
ジャケットを手にとって、着込んだ貴方はかなりびっくりします。
だってなんか絶対高いもんこれ。
「あの」
「なにや」
「これ高いんじゃ」
「いいのよ、二着も三着もあるから」
漁師金持ちだなぁ……いや、漁に必要だからなのかな……色々まわりますが、とにかくあなたは
じゃあいってきますと外に出ます。
一応デジカメとお財布は持って行きましょう。
外に出ると、東の空が白んでいます。
鳥の声が騒がしい夜明けです。緩く風が吹いています。
車の音もまばらです。
ちょっと昨日とは別のルートをいってみましょう。
少し漕ぐと、道沿いに古民家が建ち並ぶ道があります。
街はまだ、起きてはいないようですが、ひとの気配はあります。
たまに車が走っています。
冷たい空気が肌を裂くようですが、ジャケットが暖かさを守ってくれています。
国道に出ると、トラックがスピードを出して走っています。
誰も人が通らないのに変わる信号は、少し胸が騒ぐ風景ですね。
交通量は少ないので、あなたは歩道を自転車で行き、高田松原に到着します。
続く。
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