ようこそ

こちらは岩手県大船渡市出身の小説家・野梨原花南の記憶・体験・創作による仮想旅行記です。
「被災地」ではない各地の顔を知って欲しく開設いたしました。
楽しんでいただければ幸いです。

2011年10月12日水曜日

第十二回 観光しましょう・天神山公園



 ひとのいない、明るい通りを歩いて、あなたと金野さんは国道を渡ります。
 国道は車通りが多い四車線の道です。
 金野さんは、途中の民家に荷物を預けて身軽です。
「あ、それ聖ハリストス教会。珍しい建物だべ」
 金野さんが指差したのは、小さい、小屋のような木造建築です。
 確かに、珍しくはありますが。洋風ではありますが。……小さいです。
「でむこうのがあたらしいやつ」
 国道を挟んで向かい。白い壁の教会があります。
 ああ。ちゃんと大きい教会です。よかった。
「んであっちがお寺さん。興味あれば行くど。いい建築だど」
 あれ?
「……で、天照大神?」
「んだ」
「一カ所……」
「まどまってで便利だ。ホラ信号変わったど」
 横断歩道を渡って、山の麓に立ちます。
 そそり立つような斜面に、桜が立ち並び、鳥の鳴き声がします。
 太陽に温められた草と木と土の薫り。
 後ろを行く車の排気ガス。
「……のぼ」
「るど?」
「あし……」
「でだよ?」
 ですよね……。とあなたは思い、右を見て、左を見ます。
「どっ……」
「ちでもかまわねぇよ」
 右手にはまっすぐ切ってある階段。左手はつづら折りの道です。
「……階段上がれるんですかそれ。一段の段差きつくないですか」 
 とか言っている間に、自転車を置いた中学生らしい子達が現れて、キャーキャー言いながら駆け上がっていきました。ミニスカ女子たちです。
「余裕だでば」
「無理。斜面にします」
「なんだこっちいったらぱんつ見られるかもしんねぇど」
「いいですよそんなの。ってもう、あのこたちすごい上じゃないですか!」
「まああんなもんだ。いくどー。20分ぐらいだよ」
「……はい」
 っていうことは、結構あるなとあなたは思います。
 けれど、砂利のある急勾配の斜めの道は、桜の花の下、揺れる影がきれいですし、鳥の飛ぶ影が揺れて春っぽいです。
 車の音が次第に遠くなっていきます。
 別世界の様です。
 が。
「金野さん、まって……」
 金野さんはもう見えません。ひと折り上の端から声がします。
「先いってっからやー」
 ひどい。
 あなたはちょっとウンザリしました。
 足痛いし、坂きついし、もう自分の息の音しかきこえないし、足下の石しか見たくもないし、ここ、普通にガチで山だし。
 金野さんは先行っちゃうし、なんだこれ。
 でも歩くしかないから歩いて、そしてあなたはふと顔を上げます。
 満開の桜が覆う青空。
 海の気配のする風景。
 緑の山。
 国道。町。
 ほら、もうすこしですよ、がんばりましょう。
 年越しには、凍結したこの坂を、子供たちが御幣を持って歩きます。
 甘酒や御神酒のふるまいがあり、田楽味噌のつけられる煮込みこんにゃくがあります。
 当然イカやホタテも屋台が出ますよ。賑やかなものです。
「い、い、い、たい、足」
 なんとか登り切ると、そこには少し遊具があって、砂場があって、境内があって、神殿があります。
 満開の桜と、手作りの沢山の鯉のぼり。
「わー」
「子供会のやつだ。めんこいべ」
「ですねー」
 桜と鯉のぼり。白っぽい青空と風。 
 金野さんは遊具のバネ馬に乗っています。
「あーでも、つかれたー。すごいですね、ここのひとみんなこんな坂登るんです……か」
「んだよ。あれ、なじょした、目こすって。砂入ったべが」
「いえ、あの! すみません、なんか、そこに、駐車場が見える! 車とか駐めて! あるし! 細いけど舗装道路がッ」
「うん、旭町からまわるの」
「うんじゃないし! バイクはなんのためにあるんですか!」
「アハハー、おんもしれぇ顔だやー」
 金野さんはゲラゲラ笑っています。
 女子たちはひとかたまりになってケータイで何かかちかちやっています。
「iPodほしいなや」
「おら家のカーチャン買ってけんないもん。」
「パソコンいじりてぇよ。ほんで」
「出会い系」
「出会い系登録すっぺよー」
「彼氏ゲットだじゃい」
「やんたー。ほんでアレだべ悪いのにひっかかるんだない」
「まりちゃん、ダメだよ! おれどともだちだよ!?」
「ゆきちゃん!」
「なにや、出会い系全部犯罪の温床が。ねーがらやい。まずiPodどパケホー登録代がねーがらやい」
 キャアキャア楽しそうです。
 天気のいい昼間です。
 君たち学校どうしたの……。
 まずは息を整えましょう。
 お疲れ様です。


つづく

2011年9月12日月曜日

第十一回 観光しましょう・盛の朝市




「はいただいまよー」
 金野さんはからららと玄関の戸を開けて中に入ります。
 やっぱり鍵はかけていないようです。
「あんだこれからなじょするにしろ、一回荷物おがいや」
 これからどうするにしろ、確かに荷物は邪魔ですね。
「あ、は、はあ。ありがとうございます」
 外があんまりあかるくて、家の中が真っ暗に見えます。
 あまり立派な家ではありませんが、大きな家です。
「なんか、行きたいどこある?」
「え、あ、えと」
 ふとおばあさまの顔が思い浮かびます。
「朝市」
 金野さんは腕時計を見て言います。
「ハイハイ。おらもついでに塩雲丹でも買うべがな。ほんだらもっかいバイク乗らい」
「はい」
「あとコレ持って」
 空のリュックを渡されました。何となく、背負いました。


 また同じ道を通って、駅前を過ぎてすぐの所の道で、朝市は開かれていました。
 車を通行止めにして、のんびりとした雰囲気です。
 金野さんは空き地にバイクを停めました。
 海産物や花や、野菜や果物や乾物やちょっとした小物、お菓子や生活用品が並べられていますが、そんなに客もおらず、空が青いばかりで、朝市の活気と言うものには程遠い様子です。
 もっとこう、呼び込みとか、人でごったがえしたりとか。
 あなたはそう思いますが、全くありません。
 おじさんやおばさんが、売り物の後ろで物の整理をしていたり、世間話をしていたりしますが、基本とても静かです。
 海産物には蠅がつき、それを手で払ったりしています。
 客はそれを気にもせずに買います。
「蠅」
 ついあなたは呟き、金野さんは眉を寄せます。
「あん」
「魚に蠅着いたのに買った」
「あそこの魚いいんだ。いいのばり持って来でるし安い」
「だって蠅着いたのに」
「港でも船でもつくべよそんなもの」
「きっ汚いじゃないですか」
 金野さんは面倒くさそうに言います。
「お前パックに入ったまま魚海さいねぇど食えねぇの? 気になるなら洗って焼いだらいいべ」 
「や、野菜だって土着いてたら敬遠されるでしょ」
「もやしとカイワレばり食べらいや。土からでねぇでどっからでるのよ」
「よく洗って売ったらいいじゃないですか」
「その分高くなってうまぐなぐなるんだ。わがるべ」
 まぁ。
 言われればそう。
 だな。とあなたは思います。
「と、いうわげで夕飯ばその蠅のついだカレイの干物にするべが。とーさんそれけらい。なんぼだれ」
「うわ意地悪だな」
 あなたの呟きは無視され、お店の人が挨拶もせずに言います。
「あれ金野さんホヤあるぞ」
「何や夏でもねーのに」
「海流変化だべ。一カ所だげだ。こどし夏早ぇぞ。ほんでそれがらさむぐなって、まだ夏だあづいぞ」
「そうが、ほんだら台風でがいべな。株買うべが長谷工とがのよ」
「いいんでないの儲けらい」
 がははと二人は笑い、あなたはふと、先刻の乾物やさんを見つけます。
「あ、あの、さっきは」
「あら来たのォ」
 おばあちゃんが笑います。
「トトロ昆布けっから湯餅にせらい。お肌にいいよ」
 ゆもちってなんだろう。と思ってるうちにビニールにいれられます。
「あああ、いや、買います!」
「いいんだでば売るほどあっぺし」
 おばあさんはケラケラ笑います。もらわないと収まらないようです。
「じゃぁ……ゆもちにします……ありがとうございます」
「ハイハイ」
 おばあさんは笑って、折りたたみ椅子に座ります。
「こっちござい。背中向けて」
 金野さんに唐突に言われます。なにかと思ったら、買った物をどんどん突っ込まれました。
「なに、なんですか」
「魚たべーほやだべーわかめだべー林檎だべーらくがんだべー大福だべー? 菜っ葉だべ芋だべ布草履だべー茶ッパのいいのだべ、湯飲みだべ箸だべ今日発売のエロ本だべ」
「食べ物く、くさらないかな」
「預けるがら平気だ。よし、ほんだら観光だ。天神山と今出山と五葉山と碁石と吉浜まわるべがー」
「や、や、山がみっつ、あったですよね今」
「なに、一個はすぐだ。アレさ」
 金野さんは、朝市の道の向こう、斜面が全部満開の桜で、つづら折りの道にピンクの提灯が飾られた山を指差しました。
「お参り行くべぇよー。祭神天照大神様だでは」



 続く。

2011年8月11日木曜日


第十回 終点 盛


「1万トン?」
 あなたの問いにおばあちゃんはうなずきます。電車は海を見おろす場所から、住宅街に滑るように降りていきます。
「でっけぇ舟が着くのさ。外国のな。ここさつけて、車で内陸にもってくのね」
「飛行機、とかは」
「量があるのはやっぱり舟になるんでないの。油やら鉄鋼やらよ」
 カモメが舞う町です。
 二階建てほどの庭付きの木造建築が並び、花が咲き誇っています。
「あっこいのぼり……」
 洗濯物の干してある庭に立てられた棹。
 その先に鯉のぼりが踊っています。
 踏切を通るときには大きな道が横切っていて、かんかん鳴る警報機がドップラー現象で後ろに去っていきます。
 自転車やバイクにのったひとが、待っているのも見えます。
 一際大きな看板が見えます。コミックのようなカモメのキャラクター。
「あ、知ってる。かもめの卵ですよね」
「そうそう。さいとう製菓さんな。ほかのも可愛らしくておれすきなのよう。かもめの卵もな、本店でできたて買うと、なかのあんこがほわほわしててうんめぇんだぁ」
「へえ」
「あどな、壺屋のゆべしとつぼつぼ最中。あと佐藤屋の柿羊羹。テラサワのバナナボートもうんめぇなぁ。あれ、テラサワさんばやめたんだったがな」
「いろいろあるんですね」
「ほんだよー。食べてがいね。あどガガニゴもうめぇなぁ」
「がっ。ガガニゴ?」
「ハイ。お獅子のな形してでな」
 左手にのしかかるような崖が現れました。右手は市街地です。
「うわこれなんだ」
「あー山けずらないと、道もなにもとおせないもの。リアス式だがらね」
 そんなもんなんだ。
 とぽかんとしている間に川を渡ります。
「盛川だよ」
「……なんかくさいんですけど」
「アマタケブロイラーの工場そこなのだよ。随分よくなったよにおい」
 ブロイラー。
 肉の加工工場ですね。
 アマタケブロイラーさんは全国に出荷している鶏肉の加工業者さんです。
やがて、車内アナウンスが流れ、車内が慌ただしくなります。
 それぞれが荷物を持ち、あるいは上着を着ます。
 風が吹くと桜が散ります。
「着くよ。ほんだらばーちゃん市場に行くから。昼までいるから」
 おばあさんは手を出してくれました。
 あなたは何となくその手を取ります。
 おばあさんは両手で握ってくれました。
 しわだらけで、乾いていて、少し荒れた手です。
「気をつけてね」
「ありがとうございます」
 電車は緑の中を減速し始めます。
 やがて停まります。
『終点、盛。盛に到着です。この先には電車は参りません。どなたさまもお気をつけてお降りください。また、三陸鉄道への乗り換えは改札を出て右でございます』
「三陸鉄道?」
「ああ、第三セクターでやってんの。釜石、宮古、山田と行くの。よく風にツッ飛ばされるけどあるど便利だな」
 海風の強いところがあるので、三陸鉄道は車両が吹き飛ばされたことがあります。
 あなたは上着を着て荷物を持ちます。
 おばあちゃんは自分の三杯はありそうな柳行李を詰んで紐で縛った荷物をしょってすたすた歩いて去ってしまいました。
 最後になってしまいましたがあなたも電車を降りましょう。
 なんというか。
 平たい駅です。
 線路をまたいでホームがあります。
 貨物列車が止まっていて、とても静かです。鳥の声がします。
 降りたホームからそのまま出られるようです。
 白く塗られた壁のペンキが、所々剥げています。
 切符をとってもらつて改札をぬけると、待合室です。
 コンクリートの床に木の壁。
 切符の販売機に窓口。
 ポスターが貼ってあります。暗いそこを抜けると、あかるい広場です。
 タクシーが何台かいて、バス停があります。
 まっすぐに伸びて、山に当たる広い道。その山沿いに交通量の多い道路があります
 ですがそこまでの道になぜは人気はあまりなく、道は静かに光っています。
 あなたはあたりを見まわします。
 なぜかアメリカンチョッパーのバイクがあります。
 ヘルメットを被ったサングラスの革ジャンの男性がいます。背が高いです。日焼けをしています。デビット 伊東に似ています。
 近づいてきます。
 なんでしたっけね、名前。
「あの」
 あちらから話しかけてきました。
「高田の斉藤さんから電話来たんだけんども」
「あ! はい! 松栄丸の!!」
 おじさんが笑います。
「んだんだ。おれ、金野というの。若い人むけの宿やろうと思ってて、意見聞かせて欲しいのよ。色々案内もするはんで、話きかせでけらい。2日3日泊まれるべがね。そうだど俺ば助かるんだどもよ。話きけで」
「あっこちらこそよろしくお願いします」
「いがった。ほんだらちょっと荷物置きにうちにいくべがね。後ろ乗らい」
 うし。
 ろ。
 金野さんは平然とバイクにまたがり、ヘルメットを差し出します。
 あなたは受け取ってヘルメットをかぶります。
 金野さんはエンジンをかけます。
 ドボドボドボと音がします。
 あなたは後ろに乗ってつかまり、バイクは進みます。
 駅前を抜けて国道に入ります。
 四車線。やはり山を掘って作った道だと分かります。半分になった山の上に鳥居。
 バイクは曲がり、細い道に入ります。左右に住宅があって、どんどん鬱蒼としていきます。
 やがてすっかり山の中になりました。舗装道路もなくなります。両側が雑木の山で、春の色彩に満ちています。
 バイクは一件の家の前に停まりました。下に川が流れています。山の斜面は菜の花畑です。
 エンジンを切ると、物凄く静かです。
 鶯が鳴きました。
 車窓からみた、若い緑の林の中に、あなたは今立っています。



   続く。

2011年7月11日月曜日

第九回 大船渡湾


日が昇ればあっさりと一日が始まります。
車の往来も増え、自転車も多くなります。
あなたは靴底について取れない砂を感じながらペダルを漕ぎ、そして斉藤さんの家に向かいます。
と、斉藤さんのかーさんが、あなたの荷物を持って、門前に立っていました。
「え、え、なん、どうしたんですか」
あなたは自転車から降りて押して歩き寄ります。
斉藤さんのかーさんが、あなたに荷物を差し出して言います。
「いそがい」
「は?」
「あと五分で汽車でるんだ」
「は!?」
「ほんで盛駅に、迎え待ってるはんで」
「はああ!?」
「かだるの忘れでだよ。ほら駆けらい」
「えっ、お礼とか村上さんとか」
「いいがら! とーさんにおれごせやがれっがらほれ!」
言われてあなたは走り出します。
わけがわかりませんが、5分後に電車がでます。
それだけは理解しました。
リュックをしょって、走り出します。
「あり、ありが」
「行がいほら!! 駆けらい!!」
叱られました。
舗装道路をかけて、広場とモニュメントのある陸前高田の駅にたどり着きます。電車がすでにいます。ベルが鳴っています。
「うわぁあ、待って、乗り、乗ります!!」
駅員さんに言うと、
「あっ、急いで下さい。盛駅で精算でぎっがらこれ持って」
と、券を渡されて、駅員さんが言います。
「待ってー。一人行ぎますー」
あなたは、電車に駆け込みます。
間に合った。と、息を整えると、扉が閉まります。
ごどり、と電車が動いて、うんうんとモーターが鳴り、電車は進みます。
電車の中はそこそこ人がいます。なぜか、お年寄りが多く、荷物が多いです。座る場所を探していると、
「こっちござい」
と、おばあさんに呼ばれました。
「あ、すみませ……」
「窓際ござい」
「え」
またこれか! とあなたは正直思うでしょう。
「海」
「は」
「海みえっからほれ」
「は、はい……」
あなたは抵抗せずに座ります。
まぁ、海、見たいし。
座れば、やはり新緑の山です。海沿いだなんて信じられない車窓の風景です。
「あの、荷物、大きいですね」
「おれ、乾物屋なの」
「はあ」
「ばあちゃんとこのな、息子がこれつぐってんのよ」
「はい」
「わかめだの、まつもだの。便利なんだー。するめもあるよ」
「はあ」
「ばあちゃん、これ、売りにいくの」
「え、た、たいへんなんじゃ」
「もうずーっとやってっからねぇ。やんないほうがやんたくでねぇ」
「家でテレビでも」
「ボケる」
「は」
「認知症になってしまう」
「そ、そう、です、か」
「70も越えるとよー。テレビもあきるのよ。やっぱ仕事だでばぁ。おれ、乾物屋なのだもの」
おばあちゃんは笑います。小さな身体で、皺だらけの手で、洗って日に干したとわかるスモックを着ています。手首にゴムの入った、動きやすそうなものです。
「盛でね」
「はあ」
「朝市があるの」
「はい」
「ばあちゃん売りに行くの」
「はい」
「寄れたら、寄らいね」
「はい」
「サービスするがらね」
「買います」
「あらうれしい。ホタテの干物がおいしいのよ。高いけんどもね」
「買います」
「ああ、ホラ来たよ」
「え」
「下見てごらん」
言われて窓の下を見ます。
コワイ。
ナニコレ。
断崖絶壁を電車が走っています。覗き込むと遙か彼方の地面が見えます。
「大丈夫なんですかこれ」
「仕方ないのよ。海でなければ山なのだもの」
「……いろいろ大変ですね。あの、もっと楽なとことか住まないんですか」
「ふるさとだものよう。おら、ここで死ぬのだもの。なじょにでもするがらいいのよ」
おばあさんは笑っています。
「ほら」
わあっと車内が明るくなります。
広々とした景色が広がります。
海です。
目が開くような、胸がすくような、そんな景色です。
天気がよくて空も海も真っ青です。
緑と桃色の島が浮き、対岸の山も春の色です。
白い海鳥が飛び交い、養殖筏が整然と並んでいます。小さな家が、細い道の端にびっしりと建っています
「大船渡湾だよ」
「わあ」
「きれいだべ。あそこの岬にはね、大船渡グランドホテルがあったんだけどなんでか潰れたね」
「はあ」
あなたは、遠くにある長い塀のような建築物と、その端に建つ灯台を見ます。
なんだろうあれ。
湾の端と端から海の中に出ているコンクリートの無骨な塀です。
あれが海底から出ているとすると、とんでもない大きさです。
「あれ、なんですか」
「あれ、湾口防波堤」
「防波堤」
「うん。津波、ひどいからね。おれ、チリの時みたもの」
「はあ」
「ほんで、あれがね、小野田さん」
「え」
「あそこの、紅白のしましまのえんとつ。小野田セメントさん。裏の山白いべ? あれね、セメントにする石灰岩とってるの」
「はあ……それで、懐かしい景色が壊れていくとか」
おばあさんがしゃしゃしゃと笑います。
「景色など、かわるものだ。街の景気がいくなればいいのだ」
「そ、そんなもの、ですか」
「ほんだよう。ほんで、あれが魚市場で、ほら鳥山あるべ」
「ほんとだ」
細長い屋根の上に大船渡魚市場と書いてある建物があって、その一隅に白い鳥が山のようになっています。
「市がおわったので、魚すててるの。ほんで鳥がきてるの」
「もったいなくないですか!」
「ほんだってあんたがたがかわないんだもの。しかたねぇべよ。こっちさ文句言われでもかなわないよ。もっと、形のそろわないのだの買ってくれだらいいのよ」
「え、だって、スーパーにそもそもない……」
「売れないからだもの」
「……はぁ」
「そんなこといわれても、って顔だね」
「はあ」
「おれだづも思うよ。そんなこといわれでもどな」
「……はぁ」
「ほんであれが1万トン岸壁」
おばあちゃんのガイドは続きます。


       続く。

2011年6月11日土曜日

第八回 高田松原


国道45号線から海の方へと続く道。
細い舗装道路には、吹き寄せられた砂がたまって、それを踏む自転車のタイヤがしゃりしゃりします。
高いコンクリートの防波堤に寄せるように自転車をとる、鍵をかけます。
水門は開けられていますが、上れそうなので上ってみます。
靄がかかっています。
波の音がします。
防波堤をころがりそうになりながら駆け下りて、足をつくとそこは松林の砂です。
雑草がぽそぽそと生えていて、松の香りが立ちます。
防波堤の中に入ったので、更に波の音が強くなります。

どん

ざーん
どどん
どん

ざざん

靄は濃く、白く、曲がりながら伸びる松の間に密集して動きません。
息が詰まるようです。
波音に引かれて歩きます。
じゃっ
じゃりっ
靴の下で砂が鳴ります。
生臭いような潮の香りがします。
靄は冷たく、身体にまといつきます。
なにか、世界が滅んだようです。
上を見れば、松が露を貯めてしん、と立っています。
鳥も飛ばず、風も吹きません。
松林を抜けると砂浜です。
広い長い砂浜も靄です。
夜が明けかけていて空が白く、晴れだか曇りだかまだわかりません。

どどろどん

遠くで、大きな太鼓のような音がして、大きな波が押し寄せて波頭が

ぱっ

と散って

どばーん

と崩れ落ちて

じゃわぁあああと広がって透明の水を広げて砂を巻き込みます。

ざざざざざ
かららららら

と砂や小石が巻いて寄せられ、砂で泡が立てられてソーダ水のように弾けて消えて行きます。

しゅわわわ

そして波は砂や小石を残して去り、また沖でどー……んと音がします。

空はどんどん明るくなります。
やはり、世界がとまったようです。
あ、と、あなたは気がつきます。

風がないんだ。

朝の凪です。

砂浜は靄の湿気を吸って重く、足が沈んで歩きにくいです。
打ち上げられた流木や海草、ゴミがあって、絵に描いたようには美しくはありません。
遠くで車のエンジン音がします。

波の音が延々と続きます。
息をするのがこわいようです。
海の色は判りません。

唐突に靄が動きます。
切り裂かれるように風が吹いて、靄を追い散らします。
ひょおお、と風が鳴って、松林がざざざと揺れて、靄を追い払っていきます。
鳥が鳴きます。
一斉に羽音がします。
雀やかもめや海猫や海鵜がとびまわります。
重い靄を追い払います。
この風はどこから、と疑問に思うほど唐突です。
そしてあなたは理解します。
東から一息に走る光。
夜明けです。
真っ赤な太陽が、最初は点として現れ、それから線になって。
先に温められた海が、風を起こして靄を払ったのです。
沖に漁船が見えます。何隻も。
もっと沖を目指して走ります。
養殖棚も見えます。
太陽が登ります。
世界に色がつきます。
海が輝きます。
山が春の緑です。
松は常緑に輝いています。
波頭が金色です。
やがて太陽が登って、今日は快晴だと見える頃には
真っ青な海です。
ところどころは緑色のまっさおな美しい海です。
松の香りがします。
心地よい風が吹き渡っています。

波が
波音が天に弾けます。

あなたはふと気を取り直して海に背中を向けます。
砂を踏んで歩き、コンクリートの歩道を踏み越えて、松林に入ります。
黒松が並んでいます。朝の光に長い影を落とし、縞模様を作っています。
左右に目をやると、整然とした美しさがあります。
下生えに、黄色い可憐な花が咲いています。
緑が鮮やかです。
堤防まで歩き、堤防に登って松原を見渡します。

夏には薄い桃色の昼顔、薄い黄色の待宵草が咲き乱れます。
海の家もあり、シャワー施設も、キャンプ場もあります。
子供たちは毎年、夏になるとこの海岸に来るのが楽しみです。
大人達も昔子供だったので、ここに来るのが楽しみです。



            続く。

2011年5月24日火曜日

第七回 陸前高田市での朝食



昨夜はイカげそを食べたら吸盤が口の中にひっついて、偉い目にあってそれをゲラゲラ笑われたなぁ。
と、ぼんやり思いながら貴方は目を醒まします。
温かい布団の中で、知らない家の香りがします。
一階では小さくラジオの音と、人が起きて動いている音がします。
カーテンの隙間から見える空はまだ真っ暗です。
あなたは起き出して電灯をつけ、もそもそ着替えをします。
時計を見るとまだ五時です。
寝ぼけ眼で階下に降りていくと、かーさんがもうぱたぱたと働いていました。
「あらおはよう。なんと早いこと」
ビッグマム斉藤さんが、カーラーのついた頭で挨拶してくれました。
服をちゃんと着て、エプロンもつけているのにカーラーはまだなんだ。
化粧も終わってるのに不思議な感じがしますね。
「おはようございます……」
「村上さん、一回家さ戻ったから。ほら、そっちでテレビ見てらい。顔洗うんだればそっちな。
 何使ってもいいから」
「はい、すみません……」
あなたは、トイレに向かって歩きますが、余りに寒くて歯の根が合わないようです。
足下からしんしんと冷えて、トイレで用を足して、洗面所で水を出したら肌が切れそうにつめたい水です。
もう春なのにやはり北ですね。
小走りに居間に行くと、こたつに肩まで潜り込んでホッとします。
盆に朝ご飯をのせたビッグマム斉藤さんがやってきます。
慌てて貴方が起きるのに
「寒いべぇ。どんぶぐもってくっから。これ朝ご飯食べらいな」
と言われ、貴方は礼を言って盆の上のものを見ます。
どんぶぐってなんでしょう。
ごはん、海草のおみそしる、塩を噴いている一切れの魚、卵焼き、三つ葉のおひたし、黄色のたくあん、
それになぜか真っ白で、海苔の入っている……納豆。です。
「はい、これせなかにかけて」
どさりとかけられたのは綿入れ半纏でした。
じんぶぐってこれか。
「ありがとうございます、あったかいです」
と礼をいいましたが、斉藤さんはあっという間に台所です。
「あんだ、ほかになにかいるが?」
「あっいえ、もう充分ですです!」
「今なめたののこりもってくからよ」
聞かない。
ホントにひとのはなししきかない。
斉藤さんは皿に、ナメタカレイの煮付けを盛ってきました。
冷たいままで煮こごりが実においしそうではあります。
「わぁ……いただきます」
「はい」
斉藤さんはラジオを消してテレビをつけました。
まだテレビ放送が始まっていないので、録画していたらしい韓流ドラマです。
あなたは、こんなにいらないのになと思いながら食事をします。
美味しいのですが。
ところで、この塩を噴いている魚を食べてみましょう。
鱒か鮭のようですが。
食べます。
「……ッ」
激しく塩辛いです。
一周して甘いです。
痛いというか一周半して甘すぎて苦いです。
ごはんを食べます。
ごはんってすてき。
お味噌汁ってステキ。
お茶ラブ。
斉藤さんもお茶を飲んでいます。
「こっ、これ、なんですか」
「塩引き。うんめぇべ。ああ、残していいからね」
「あ、は、はい」
美味しいような気も、しなくもないですが、まあともあれ激しいですよね。
そしてあなたはおそるおそる納豆に手を出します。
少しだけごはんにかけます。
なんでこんなに白いんだろう……。
かけて食べます。
なにか、おかしいです。
知らない味です。
甘い……
砂糖醤油の味がします……
「あの……これ……」
「ん?」
「お砂糖……?」
「少ないか」
「いえ、あの、初めてなもんで」
「あらそうなの。うんめぇべ」
なんでそう揺るぎない自信を持っているのかと。
ともあれ、貴方は食事を進めます。
ナメタカレイの煮付けの煮こごりはとても美味しいです。
斉藤さんは
「やんだーあんだーなんでやー」
とかいいながらヨン様を見つつ泣き出しました。
ティッシュで鼻をかんだところを見計らって訊いてみます。
「あの、おじさん達は」
「とうさんがた漁だ。とっくに出たよ。あ、あんだ、壁によ、ダウンジャケットかかってっぺ。
 あれ着て、もうすこししたら出らい」
「え」
「松原行がい」
「は、はい……」
なんでこう押してくるんだろう。
思いながらあなたはおそるおそる塩引きをもう一口食べます。
ああっしょっぱくて辛くて甘くて苦い。くせになりそう。
砂糖納豆も食べます。
多分ここのひとはトマトに砂糖なのかなと思いながら。
食べ終わって、食器を流しに置いて、洗って戻ってくると斉藤さんはテレビに釘付けです。
「やんたあんた、どうなるのやー」
ひとりごとです。ヨン様は返事をしません。
「あっじゃぁ、あの、ジャケットお借りしますね」
「はいよー」
ジャケットを手にとって、着込んだ貴方はかなりびっくりします。
だってなんか絶対高いもんこれ。
「あの」
「なにや」
「これ高いんじゃ」
「いいのよ、二着も三着もあるから」
漁師金持ちだなぁ……いや、漁に必要だからなのかな……色々まわりますが、とにかくあなたは
じゃあいってきますと外に出ます。
一応デジカメとお財布は持って行きましょう。
外に出ると、東の空が白んでいます。
鳥の声が騒がしい夜明けです。緩く風が吹いています。
車の音もまばらです。
ちょっと昨日とは別のルートをいってみましょう。
少し漕ぐと、道沿いに古民家が建ち並ぶ道があります。
街はまだ、起きてはいないようですが、ひとの気配はあります。
たまに車が走っています。
冷たい空気が肌を裂くようですが、ジャケットが暖かさを守ってくれています。
国道に出ると、トラックがスピードを出して走っています。
誰も人が通らないのに変わる信号は、少し胸が騒ぐ風景ですね。
交通量は少ないので、あなたは歩道を自転車で行き、高田松原に到着します。


                 続く。

2011年5月3日火曜日

第六回 陸前高田市での夕食


急いで帰らないと真っ暗になってしまいます。
けれど国道沿いは明るく、自転車は軽快に進みます。
あなたはなんとか斉藤さんの家に戻ります。
大きな庭に入り、自転車を適当に止めて、玄関をからからとあけます。
「た、た、ただいまでーす」
なんと言っていいのかわからずそう言います。
少し恥ずかしいような木がしますよね、自分の家でもないので。
奥の方ではテレビの音と笑い声がします。
ぱたぱたとスリッパの音がして、恰幅のいいおばちゃんパーマのおばちゃんが、化粧顔でやってきます。
変なエプロンをしています。
「はいはい。お客さんな。おれ、斉藤さんのかーさんだ。松原行ったの」
「えっ、あっ、はい」
「ほれ、足ふいて。お風呂はいらい」
「は!?」
差し出されたやたら肉厚なタオルを受け取って、貴方は声を上げます。
「あれだべ。波さはいって、服濡れたべ」
「えっ、は、はい」
なぜばれている。
あなたは驚きます。
「あっという間に満潮になるんだもの。波高いからね、この時間。着替えはあるんだべ。洗濯するから明日、ここさ取りさ来」
「へ、そ、そんな、申し訳ないですそんな」
「いいがらフロはいらい。ボイラーもったいねーもの。上がって右だから。トイレ隣な。ほんだらかーさん忙しいがら台所にいるがら。わかんなかったら呼ばいよ」
言うだけ言って、斉藤のかーさんは行ってしまいました。
あなたは仕方なく、タオルで足をふいて、砂を落として上がります。
上がって右の廊下を歩くと、なるほど、扉がありました。
トイレをすませてフロに入ると、空気がひんやりしています。
ゴーンと音がして、ボイラーが動いています。
あなたは手桶を取って湯を被ります。
「うおあああああああっちゃぁああおおお!!」
あまりに熱いので叫びます。
慌てて水を出して掻き回して、ちょうど良くします。
その間に髪を洗って身体を洗い、お風呂に入って気持ちがいいです。
外に出ると、なぜか見知らぬ着替えがちょこんと置いてあって、もう抵抗する気もないあなたはしずしずと着衣します。
濡れたままの髪で、台所に行くと声をかけます。
斉藤さんのかーさんと村上さんのかーさんが、エプロンをつけて笑いながら調理しています。
「ありがとうございましたー」
「はい、さっぱりしたこど」
斉藤さんのかーさんが言い、貴方は気を利かせます。
「あの、お湯、温度、丁度よくしておきましたんで」
かーさんふたりは視線を合わせ、斉藤さんのかーさんは壁の湯温調節パネルを見ます。
「44度でぬるがったべがね」
「ほら、江戸っ子だものよ」
「あらー」
かーさんふたりは言いますが貴方は内心ツッコミます。

熱 い っ て 。

「え、いや、あの、みず、うめちゃっ……」
風呂場からとーさんの声がします。
「何やー!!ぬるいー!!」
斉藤のかーさんが言います。
「追い炊きしらい!!」
「え、あ、すみません」
「いやいやいいのよ。言えばこの辺寒いものな。そうかー。江戸っ子も熱いのがー。あ、あんだそこの煮付けと刺身もってってけらいや」
「あっはい。あと手伝うこととか」
村上のかーさんが笑って言います。
「うちのとーさんの酒ッコの相手してでけらい」
言われるがまま、ふきの煮付けと魚の刺身を持っていくと、顔が真っ赤になった村上さんが手酌でコップで飲みながら、こたつに入ってテレビを観ていました。
「あっ、注ぎましょうか」
あなたは座って言うと、村上さんは無言で瓶を上げ、からのコップを持つように貴方に示します。
あなたは仕方なくコップを持って、酒を注がれます。
なみなみつがれた酒を一口飲むと、さわやかで酸味のつよい、けれど腰のしっかりした酒です。
「う、うまい、ですね、これ」
村上のとーさんは頷くといきなり
「さぁぁあけぇええは酔仙、ほんづーくぅうううううりぃぃぃいいい」
と唸りました。
「地酒だ」
誇らしげに鼻息を吐いて、とーさんは嬉しそうです。
どうやらCMソングのようですね。
「松原なじょだった」
「はあ、綺麗なとこですね」
「朝まにも行け」
「は?」
「明日、朝まにも行け。きれいだから」
「……はい」
まぁ泊めて貰うんだし(頼んでませんが)
お食事もいただくんだし(頼んでませんが)
それくらいは言うこときいてもいいかな、だるいけど。
思いながら酒を飲み、真っ黄色のたくあんを摘みます。
とーさんは味の素を漬け物にばさばさかけます。
「うめぇぞ。おごごに味の素」
「おごご……」
「香の物って言うべ。お香好、からおごごだな。古語だべ」
「はあ」
食べてみます。
美味しいです。
なにか、つけものに味の素どばどばかけるのは抵抗はあるかもしれません。
煮物に箸をつけます。
かつおぶしと白魚が載っていて美味しいです。
刺身は全く生臭くなく舌の上でもしっかりしています。
「おい、おまたせしましたよ」
かーさんたちが大きな盆に色々載せてやってきました。
ごはん、お味噌汁、魚の煮付け、焼き魚、ワカメの酢の物、小さい皿に味噌やら、木の芽のあえたのやら盛りだくさんです。それをこたつの上にちゃきちゃき並べおわったころに、斉藤さんのとーさんがやってきました。
「あんだ、お湯埋めだら湯冷めすっぺどよう」
不満を言われ、謝ってしまいます。
「あ、す、すみませ」
「はい、そしたらねぇ」
斉藤さんのかーさんがいいます。
「どんこ汁、なめたの煮付け、鰯の塩焼き、わかめの酢の物、これ、メカブ、こっちばっけ味噌、去年のだども山椒味噌」
斉藤さんのとーさんが言います。
「いただきます」
全員何となく言います。
「いただきます」
貴方も言って、まずは白米を食べます。
「お、おいしい、ですね」
「んだべぇ。ここでとれだの。もらったの。高田でつくってるの」
「ほら、鰯も食べらい。俺が獲ったんだ」
正直鰯は骨が多いし脂がきついものです。
あなたは箸を動かして、身をほぐしていきます。一口食べて驚くでしょう。
「……おいしいですね!」
「んだ。鰯甘いんだ。脂もさほどでないべここらの」
「案外あっさり、わあおいしいこれ」
食べていくと、村上のかーさんがいいます。
「ばっけ味噌、うめーからね」
「なんですか」
「ふきのとう入れた味噌だ」
食べます。ほろにがです。
どんこ汁ってなんだろうと思ったら、なんだか魚が入っています。ぶつ切りで白身です。コレはコレで。あとは大根とゴボウと人参です。
メカブは酢醤油でこりこりねとねとです。
わかめもこりこりです。分厚いです。
なめたの煮付けは、ナメタカレイですね。茶色に煮られています。
ほろりと崩れる白身が甘いでしょう。
つけられたテレビで野球をやっていて、とーさんたちの声が酔っていきます。
「あんだ、村上さん。おら、ドバイの話し聴きてえな。泊まっていかいや」
斉藤さんのかーさんが、ビールを飲みながら言います。
村上さんのかーさんが答えます。
「おればかまわねよ。岩手川ねぇか」
「ハイハイ」
斉藤さんのかーさんが台所に立ち、村上さんのかーさんがあなたに言います。
「あんだ、ここさ泊まれ」
「は?」
「おらども泊まるから。ほんでな、明日、起こすからや。松原見て来や」
「……さっき、みて……」
一応言ってみます。さっきもとーさんに勧められたわけですが。
「朝の松原きれいだよー」
斉藤さんのかーさんが酒瓶とコップを持ってやってきました。
「はいはい岩手川」
地酒のようです。
「うふふ甘いのよ。飲むか」
勧められ、飲んでみたお酒は、やはり確かに甘くて、美味しかったです。



続く。

2011年4月9日土曜日

第五回 陸前高田市


電車は止まり、おじさまとおばさまが降ります。
「あんだ荷物一個持ってけらいや」
「あ、はい」
おばさまが紙袋をひとつ差し出しあなたはそれを受け取ります。
つられて降りました。背後で扉が閉まります。

いいのかな。

「こっちゃ来」
おじさまが呼びます。
「はい」
あなたは自分の鞄と紙袋を持ち、駅員さんに切符と整理券を渡して駅を抜けます。
平たい駅舎で、土間のような床にベンチが置いてあり、壁にたくさんの県内観光ポスターが貼ってあります。夏には大船渡市で市民祭りがあるようです。
小さな、古い木造の駅舎です。
と書かれたゲートを抜けると、視界が開けます。
あまり人気のないロータリーに、銀と青色のバスが止まっています。駐車用なのでしょうか、地面に区画が区切られています。
ロータリーには背の高いコンクリートのオブジェと三角形の時計塔が置かれた植え込みがあり、その向こうには商店街があります。
なんだか、空がひろいです。そろそろ夕方ですね。
「あんだー」
おじさまとおばさまが少し離れたところで声をかけます。
あなたは急いでそちらに向かいます。
なんの説明もされずにあなたは後ろについて歩き、ご夫妻は二人で話をしながら歩いています。
少し歩いて、民家の門をご夫妻はくぐります。
あなたは何となく着いていきます。
立派な庭を過ぎておじさまが、玄関をがらっとあけます。
「もーしー」
鍵とか!
と思いますが、更におじさまは、靴を脱いで上がります。
「いねーのすかー」
いいの!?いいの!?と思っておばさまを見ますが、おばさまは別に慌ててもいません。
貴方の様子に思い至ったように笑います。
「田舎だからね」
それでいいの!?
「あら村上さんおかえり。ドバイなじょよ」
ドバイはいかがでしたか。
「はぁまず、勉強になったよ。んで、車持ってくるから、荷物置かせてけらいや。あど、東京の人ナンパしたのや。松原みせっぺど思って」
「あらぁ」
家の奥で、黒いほど日焼けしたおじさまが顔を覗かせ、貴方の顔を見ます。
貴方は会釈をします。
おじさまが歯のぬけた口で笑います。
「東京から。そう。自転車貸すがらやい、松原見てこ。あど道の駅で浜焼き食べらいな。暗くなったら戻って、夕飯、ここで食べらいよ」
「は!? いや、あのそんな!」
「イヤ俺漁師なのす。魚、うんめぇぞ。おらえのかあさん料理うめぇべし」
「うちに泊めるからよ」
「はいはい」
なぜ勝手に決められていくのでしょうか。
あなたは疑問に思いますが、漁師の魚は食べてみたいところですね。
おばさまに視線を転じると、おばさんはさっさと上がり框に荷物を置いて、勝手に人のうちの自転車を引き出してサドルを調整していました。
「乗ってみてけらい」
「はい」
チェ・ジウよりかわいいひとのいう言葉にはさからえません。
乗ってみると丁度いいです。
「道はさっきの交差点まで戻って、道カーブしてっから、そのままいって、でっかい道に当たったら左さ。後まっすぐいったらなんとなぐわかるからね。ここは松栄丸んとこって訊いたら、年寄りみんなわがるからよ。はいいってらっしゃい」
チェ・ジウよりかわいいひとのいう言葉にはさからえません。
あなたは自転車をこぎ出します。
やっぱり空が広いです。
人気はそんなにありませんが、学生達が楽しげに固まって道を歩いて行きます。
大きな家と、立派な庭が目立ちます。
大きな道に当たると車の交通量が多い、立派な道でした。
見慣れた店名もあります。
エネオスやローソン、二階建ての大きな薬屋も。
地方都市のおもむきです。
そしてあなたは気がつくでしょう。

この街、やたら真っ平らだな。

あまり激しい起伏がありません。
背後を見ればそそり立つ緑濃い山はあるのですが、市街地は平地です。
自転車を漕いでいくと、本当に空に何も見えません。
国道から信号を渡り、両側が砂利敷きの、灌木の植わった場所に来てあなたはその理由に気がつきます。

海です。

すこし走ると、大きなコンクリートの壁があります。
傾斜が着いて、四角いへこみが板チョコのように作られたものです。
階段もありますが、開けられている門に行ってみましょう。
大きな鉄扉があります。丸太のような閂も。
「この扉は津波の時に閉まります」
そんなことが書いてあります。

なにこの要塞。
ちょっと驚きながら、あなたは水門をくぐります。
松林です。
波音が、遠く響いています。
夕暮れの光量は少なく、林の中はすでに少し不安なくらい薄暗いです。
足下がふわふわします。
湿った松葉の香りがします。右を見ても、左を見ても、松です。
波音に引かれていくと、林を抜けました。
海です。
茶色の砂浜が広がっています。
夕焼けの空に、海はあまり綺麗にみえません。
灰色のような、鉄色の様な海です。
あなたはちょっと好奇心がでて、少しだけある草地を踏んで砂浜に向かいます。
「うわ」
砂浜は思っていたより柔らかく、ゴミもあるし乾いて縮んだ海草もあって、浜辺はあまり綺麗ではありません。
それでも近寄っていくと、穏やかな波音と、引いていくときに波が小石や砂をカラカラ鳴らす音がきこえます。
残る音は立った泡が弾ける音です。
貴方は履き物を脱いで、靴下を脱ぎ、おそるおそる波打ち際に行きます。
足をつけてみます。
ビリビリするくらい冷たくて、水は思いがけないほど透明です。
足下の砂が引き波で攫われると、ふしぎに不安定な感じがします。
ふと振り向いてみると、黒松の巨大な林が、まるで護衛兵の様にのっそりと立っています。
鴉が鳴き交わして、松の上を飛びます。
夕暮れの薄青い空が、薄い雲を流して光を失わせていきます。
「うお!」
唐突に高い波がきて、貴方の膝裏までを濡らしました。
引き波の力は強く、貴方は慌てて走って水から抜けます。
「……っくりした! あっ靴靴」
ぎりぎりで助かった靴を、濡れたままの足で履いて、寒さに震えながら貴方は松林に戻ります。
松林の中は重たい暗闇がはびこっていて、すこしこわいようです。
自転車のあるところに行き、急いで帰ります。
道の駅には寄りませんでした。



続く。

2011年3月26日土曜日

第四回 猊鼻渓・二


船着き場に行くと、ほぼ同時に団体さんが出てきました。
船は平たい木製で、動力のようなものは見当たりません。
あなたは列の最初に立つことが出来ました。
前のお客さんが全員おりると、長い竹竿を持った船頭さんが
「どうぞ」
と、声をかけます。
着物と菅笠の、昔ながらの船頭スタイルです。
あなたは船に乗り込みます。案外安定しています。
せっかくなので舳先に座ってみますか。
団体さんがわやわや座って、やがて船が出ます。
水面を滑るように船が進みます。
少しすると、車の音がきこえなくなります。
両岸に切り立った白い崖。
水の流れる音と風の音。梢の揺れる音が崖の間に反響し、天に抜けていきます。
奇岩の案内を船頭さんが、枯れたいい声でしてくれます。
竹竿一本で、船は渓流を上がります。
進んで行くにつれて、空気がかわります。
人のいない、深山幽谷の気配です。
緑の息づかいがきこえるような、その間の動物たちの視線を感じるような。
花がたくさんさいています。
白い崖を彩る白い山桜や黄色の山吹、そして可憐に下がって揺れる薄紫の蔓の藤。
そしてそれらの影が揺れる白い崖。
団体さんの歓声につられて水の中を覗くと、魚がたくさんいます。
「あら昔は鯉がいなかった? 錦鯉。綺麗だったのに」
誰かがいって、船頭さんが答えました。
「綺麗だったんだけんど、不自然でめぐせえってことで別のとこに移したのす」
めぐさいとはおそらく目腐いと書くのでしょうね。
みっともないとか美しくないとか、そういう意味です。
美意識の有り様を示す良い言葉だと思います。
でも
それはそうかもしれないけれど、この美しい渓流に錦鯉の群れは、ゴージャスだったんじゃないかなとあなたは思うかもしれません。
あるいは、確かにこの日本の渓流には山女や岩魚こそがふさわしいと思うかもしれません。
白い首の長い鳥が飛びます。
あれは鷺だねとだれかがいいます。
いろいろな鳥が鳴き、飛び交います。
水音。

やがて船は、渓流の奥にたどり着きます。
桟橋があって船を下りると土産物屋の様な小さな建物があります。
「うん玉」と書かれています。
中を見るとマスに区切った容れ物がありそこに、寿、とか運、とか書いた小石大の焼き物が入っています。
五個百円で、なかなか可愛らしい焼き物です。
渓流の向かいには穴が開いていて、あそこに投げて入ると願いが叶うと船頭さんは言います。
イッツ・アミューズメント!
がんばってみてください。


さて、下りです。
船頭さんが歌い始めます。
朗々とした声が、崖に弾けて天に昇ります。崖の前に立つ細い木が、影を落として風に鳴ります。
桜の花びらが舞い散って、水面と、貴方の顔に落ちかかります。
およそ一時間と少しで船旅は終わります。
さて、正午の船に乗りましたので、一時間と少し船旅をして
今は一時、そうですね15分です。

さて、時刻表を確認してみましょう。
「ブッ」
次の列車は3時15分です。
大船渡線は、基本一時間に一本な上に、この時間は通勤通学が少ないので、
、三時間に渡って電車がないのです。
近くに紙漉き館というナイススポットもありますが、
まぁせっかくエアトラベルなので二時間時計の針を進めましょう。


駅に電車が到着しました。
河原で読む文庫本もなかなかおもしろかったし心地の良い体験でしたよね。その辺の公道もうろちょろしましたし。
3時ともなれば、太陽光は金色です。
白い雲の上からの光が、斜めです。
すでに夕方になる気配です。
あなたは、なんとなく雲をながめます。
存在感のある、陰影のはっきりした雲です。
やがて電車がやってきて乗り込みます。席がひとつ空いていたので座ろうかなと思いますが、女子高生三人の席の一角でちょっと迷います。
が、
女子高生が少しずれて席を空けてくれました。
「す、すみません」
あなたは恐縮しつつ席に座ります。
発車のベルが鳴って、電車が発車します。
女子高生たちはおばちゃんたちよりずいぶんゆっくり話をします。
「ゆき。こないだの」
「うん」
「あれな」
「はい」
「ニノの記事のってたよ」
「え、嘘。見せて見せて」
なんだかよくわかりません。
「ニノでねぇべ二宮君って言え」
訛っていますが、激しくはありません。
女の子たちは、おばさまがたより大人しいようです。
あなたは風景が見たくて、窓の外を見ようとします。
すると、窓側の席の女子高生が言いました。
「どこまでですか?」
「あっ、え、盛、です」
「あっそしたら私気仙沼なんで。席代わりましょう」
断るヒマもなく席を移動しはじめられ、あなたは慌てて動きます。
席を交換して落ちついたところで、あなたは
「ありがとう」
と言います。
女子高生は照れくさそうに笑います。
「いいえ。どっからですか」
「東京からです」
「えーいいなー」
「いいなー」
「いいですかね」
「いいですよー。こっちあれですよ、テレビ局少ないし」
「めんこいテレビとか、名前どうなのっていうね」
「ねぇ。はずかしいよね」
「いいともが四時からだし」
「そ、そうなんですか」
「私、大学は東京行きたいんですよね」
「やっぱ東京いいよねー」
「一回住んでみたいよねー」
そんなもんなんだ。
ちょっと感心して、少し話して、貴方は車窓を見ます。
風景はいよいよ夕暮れの光りに照らされて、影を長く薄くし、陰影をつけています。
黄色い帽子とランドセルの子供たちが歩いています。
軽トラックも走っています。田んぼはいよいよぎらぎらと光り、田んぼに囲まれた屋敷森の家も見えます。そういう家の近くには小さな墓地と、鳥居が見えます。
桜が散って花吹雪になります。
冬は、白と黒だけの世界です。
雪は幾重もの紗の様にのんのんと降り積もります。
雪が積もって晴れ、風が強い日には地吹雪も起こり、一歩も歩けなくもなります。
真っ白な世界にただ、太陽だけが遠く輝く、それは透明な石の中に閉じ込められたような、そんな不思議な気分になります。
晴れた日の日没後には、残光で雪が真っ青に染まるブルーモーメントが頻繁に見られます。
真っ青な世界に、裸木の繊細な影。
星はまだ輝かずに月ばかりが浮く景色は絵本そのままです。
夏はコントラストの強い色彩、青い空、白い雲、白い道、黒い影、乾く、茶色の土、黒いような濃い緑。
秋は、錦秋の一言に尽きます。
やがて、列車は気仙沼に到着します。
時刻は16時9分です。
ここで、半数ほどが降りていきます。
女子高生たちも降ります。
開けられた扉から、少し、潮の香りがします。
ここで降りて、唐桑半島を観光するのも、フカヒレを食べたり、鮫革の加工品を冷やかすのも楽しいですが、今は先を急ぐとしましょう。
停車時間は一分です。
乗客たちが乗ってきます。
「あれ」
声をかけられ、あなたは視線をあげます。
「あっ」
一ノ関からの電車で会った、おじさまとおばさまです。
ほかのおばさまたちはおられません。
「チェ・ジウ」
ついあなたは呟いてしまい、おばさまが照れます。
「あらやんだ。とうさんがいけねぇんだよ」
「チェ・ジウでねぇ。チェ・ジウよりめんこいんだ」
「やめでけらい。あー。ほら、とうさん座らいや」
「はいはい。そこ、いいがしら」
聞かれて貴方は頷きます。
「はい。あの、猊鼻渓良かったです」
「ああ、んだべ。いいんだ」
おじさまは貴方の向かいに座って笑います。
おばさまは、荷物を空いている席に置いて、おじさまの隣に座ります。
「おらど、気仙沼で用足しして帰るどこだ」
「え、どちらなんですか、家、住んでる、えー」
「高田だ」
「高田」
「陸前高田。あんだ盛に行くってだが。宿あんのすか」
予約とかしてませんね。
「え、ま、ホテルとかあるんじゃないですか」
盛駅付近にホテルはありません。旅館はあります。朝ご飯がおいしいそうです。
「かあさん、いいべか」
「いいですよ」
おばさまはにこにこしています。
「ほんだら今夜は、おらいに泊まらい」
「は?」
「ほんで明日は盛の知り合いに話しすっからそこに泊まらい」
「は?」
「夕飯、魚食べらいや」
「は?」
「うんまいぞー。高田の魚。汽車着いたら高田松原歩いてらい。車持ってくっから」
「あんだ荷物どうすんの」
「斉藤さんどこに置かせてもらうべ」
「ああ、ほんだな」

決まってしまいました。


続く。

2011年3月23日水曜日

第三回 猊鼻渓・一

ホイッスルが響き、チャイムが鳴ってアナウンスが流れます。
『本日は大船渡線ドラゴンレール号にご乗車くださいましてありがとうございます。
ただいまよりドラゴンレール号の案内をさせていただきます』

おや、こんな素敵な動画がありました。
09.7.20 ドラゴンレール号 一ノ関発車後アナウンス おまけつき

ところで車内は混んでいます。席は決して広くなく、おばさまがたの膝と触れあってしまいそうで少し緊張します。
ピーナッツはおいしいですが、ゴミをどうしようか困っていると
おばさまのひとりが袋を出してくれました。
「ここさ。ほれ。なげてハ」
ここへどうぞ、お捨てくださいな。
「あっ、すみませ……」
言われるままにあなたはピーナッツの殻を捨てます。
礼を言いましたがおばさまは聞きもせずに、また話の輪の中に入っていきます。
電車は、唸るような音を立てて進んでいきます。
車窓の景色が流れていきます。
一ノ関の市内を抜けてしまうと、郊外の住宅地です。二階建ての家が多く、高い建物は見当たりません。
車窓は明るく、風景はうららかです。
遠くになだらかに山脈が見えます。
空がぼんやりと薄青く、春の色です。
桜が咲いています。木蓮も咲いています。あれは梅でしょうか。白いのは雪柳。庭先の花はチューリップですね。
人の姿はあまり見えません。
やがて三分ほどすると、水田が現れます。
日に煌めいて風に水が波打ちます。田植えが終わった田もあります。
畑には鳥避けのメタルテープが張られてキラキラしています。
その全てに山が迫っています。
春の山です。
多彩な緑が霞の様に山全体を覆っている山、植林の杉の線がくっきりしている山と様々です。
おばさまたちは話し続け、おじさまたちは泰然としています。
電線のない空を、鳥が滑るように飛びます。
林の下土が、照らされて赤く白く輝きます。
やがて、山の中に入ります。迫ってくるような山肌が現れます。
雑木の林の若葉が、柔らかいみどいりろで、下生えの花が咲いています。
日陰になると、目がいたいような気になるのは、今までが明るすぎたのでしょうね。
真滝・陸中門崎・岩ノ下と到着する度に、数人の出入りがあります。
山を抜けて田が広がり、集落があり、また山に入ります。
三十分ほどで猊鼻渓に到着します。
山肌の植物や、空をぼんやり眺めていたあなたは、唐突に視界が開けたことに驚きます。
電車の音が開放されて、聞こえ方が変わります。
渓谷にかかった鉄橋があり、電車はそこを通っているのです。
水は青く黒く澄んで流れ、なんだか暗い翡翠の様です。波が立って白く輝きます。
切り立った岸には差し込んだように木々か生え、視線の下を横切って鳥が飛びます。
「トンビだ」
おじさまがおしえてくれます。
「砂鉄川だ」
また教えてくれました。
「砂鉄が取れたんですか?」
「ンだ。いい鉄と、金も昔採れたのす。んで金色堂がよ。田村様の時代だれば、おなごも綺麗だんでハ、都に持ってかれで、今は出がらしばりだな」
おばさまたちが笑います。
「やんだーこんなにめんこいお姫様つかまえで!あんだ村上のかーさん、とーさんにちゃんと言っておがいよ」
おじさまのとなりのおばちゃんが笑います。
「はいはい。なぁなぁとーちゃん、おれめんこいべよう」
おじさまがプッと笑います。
「まぁ、おらいのかあさんチェ・ジウよりめんこいでばな」
おばさまたちがキャーキャー言います。
正確にはやんだーあんだーやんだーあんだーと言います。
なんだか照れくさいです。おばさまの顔がちょっと赤いです。
おじさまは目を細めておばさまを見て、それから帽子を顔にのせます。
「おら気仙沼まで寝るからね」
「やんた村上さんおしょすいがらって」
「あ、ほんだ。あんだ、猊鼻渓みねぇのすか?」
おじさまが帽子を取って言います。
「あっ、えっ」
「日本百景だぞ」
そうか。
では観ていきましょう。ちょうど列車は減速して止まるところです。
あなたは荷物を持ち直して、おじさまとおばさま方に挨拶をして列車を降ります。
ホームには何もありません。
観光客がちらほらいます。
発車の音楽が鳴りホイッスルの音がして、電車は出ていきます。
あなたは振りむいて、電車の中のおばさま方に手を振ります。
おばさま方は見向きもしません。
情が厚いのか薄情なのか判りません。
電車が行ってしまうと、静かです。
鳥の声と風に木々が揺れる音がします。
観光客のみなさんが行く方向へついて行ってみましょう。
駅から猊鼻渓は徒歩五分ほどです。
舗装道路を歩いて、民家の横を通り抜けて下っていくと、駐車場に出ます。
そこそこの数が止まっている駐車場横を抜けると、土産物屋の人らしいおばさまが
「よってってー! うちよってってー!」
と呼び込みをしています。
なんとなく、そこではなく少し奥のレストハウスに向かいます。
「猊鼻渓船下り」
と看板があり、あなたはレストハウスに入って、声をかけます。
「あの、すみません、船下りって」
「はーい。少々お待ち下さいー」
おや、若い女性の声で訛っていません。
おみやげ売り場の奥から、店員さんが出てきてくれました。
「船下りでしたら、そこをこういって、大人一人千五百円です」
身振り手振りで教えてくれました。
「ありがとうございます」
「あと、時間ですけど、発着時間はこれです。次は12時になりますね」
ちょっと時間がありますね。
二階が食堂になっているようです。
「じゃ、上、で」
「はい、どうぞ」
「げいび蕎麦がおすすめですよ」
うふふ、と女性は笑います。
「あ、はい……」
あなたは二階に上がります。
「いらっしゃいませーぇ」
やっぱり訛っていません。
「あいてるお席おすわりくださーい」
空いてる席に座ります。
別の所では、団体客が食事をしています。
お茶を出されて、
「げいび蕎麦下さい」
と、あなたは注文します。
「はい」
と店員さんが言います。
窓からの景色は、成る程、凄いです。
切り立った崖にわさわさと緑がはえています。崖の肌は白いです。
流れる河を見ているだけで、ぼんやりしてきます。
「はいおまたせしましたーげいび蕎麦いっちょーう」
出されたモノを見てあなたはちょっと目が細くなります。
何これ。
蕎麦の上に刺身。
とか。
刺身?
「……いただきます……」
お箸を一膳取って、食べ始めます。
温かい蕎麦に刺身。
まぁ魚しゃぶしゃぶみたいなもので……えーなんか……えー。いやけっこう……えー。蕎麦はおいしい……海藻と山菜がすごくはいって……えー。
平らげて、お茶を飲みます。
なんか納得いかない。おいしいけど。
あなたは精算して外に出ます。売店で、棒アイスが売っていたので、ミルクバーなんか買います。
河原を歩きながら食べます。
河原は光が満ちて明るく、水の流れる音がします。鳥の声がいくつもします。
大きな白い鳥が飛んで行きます。
首とくちばしの長い鳥。
河原は歩きにくいので気をつけて下さいね。

さて、そろそろ船着き場にいきましょう。
あちらから、船が戻ってきたようです。
ところでこれなんでしょう。カッコイイですね。

続く。

2011年3月18日金曜日

第二回 車内


前の人にならって、あなたは整理券を取ります。
「ワンマン」
という文字とか
「開 閉」
と書かれたでっかいボタンとか
「お手洗い」
の看板とか
色々気にはなります。

車内はかなりの混雑です。ボックス席と、長椅子があります。
長椅子は埋まってしまって、ボックス席もほぼ埋まってしまって、
四人がけのボックス席に三人座っているのはみつけましたが、
荷物が置かれています。
あなたは、まぁいいか、立っておこうと思いますが、ふと、
そのボックス席の一人と目が合い、荷物を退かされます。

いいのに。

と思いつつ、その人は手招きまでします。

しかたがない。

あなたは頭を下げてその席に座ります。
手招きをしてくれたのは、年配の男性でした。
ボックス席は年配の女性たちで埋まっています。
あなたは男性の隣に座ります。
「すみません」
男性はうん、と頷きます。
「なにあんだどっからきたのすか」
女性が言います。
「あっ、え、り、旅行です」
返事になってませんが女性は気にしません。
「あらそうなのー。ちょっと佐藤さん、このひと旅行だど!」
他の女性たちが会話に入ってきます。
通路を挟んだ向こうのボックス席の女性たちも身を乗り出してきます。
「あんらー」
「なになに」
「旅行だずど」
「あんれーどこまで?」
あなたは何とか答えます。
「さ、盛、です……終点……一応」
「あらそうなのー」
「猊鼻渓さ行がいや」
唐突に言われます。猊鼻渓。路線図にありましたね。
「ほんだほんだ」
そうよそうよ。
「んだんだ」
そうよそうよ。
「せっかくきたんだら舟っコさ乗らいや」
せっかくこちらまでいらしたのですから、舟に乗ってはいかがですか?
「ちょっと熊谷さん、あんだ猊鼻渓のどこだがおいしいって」
熊谷様、あなた、猊鼻渓のどちらかの食堂がおいしいと行ってらっしゃいましたよね?
教えて差し上げてはいかがかしら。
「郭公団子食べらい」
かっこうだんごをおあがりなさいな。
「石ッコ投げてハ」
石をお投げなさいな。
「売店、呼び込みうるさくなったずど」
ところで皆様、あちらの売店、呼び込みがうるさくなったそうですわよ。
「やんたなー」
ま、いやね。
「やんたねー」
そうねいやね。
「めぐせがなー」
いやだわ、みっともなくてよ。
何語だろう。
そしていつ途切れるんだろう。
何言われてるんだろう。
返事求められてるんだろうか。
あなたは色々思うでしょうが、女性たちの言葉に口を差し挟む余裕はありません。
返事は求められていませんが、何も言わないと、
「なにか語らいや」
とか理不尽なことを言われます。
男性が、ぽつり、と、言います。
「おらど、今、成田から来たんだじゃい」
私どもは今成田空港から参りました。
「え、あ、そ、そうなんですか……」
男性の喋り言葉はゆっくりしています。
「農協の旅行だ」
「どこ行かれたんですか?」
「ドバイさ」
農協の旅行は、意外な所を選ぶところがあります。
「どっ。土倍、ですか」
あなたはどこなのかわかりません。
「うん。景気いいとこ見るのも勉強だがらな」
「あんだーいがったどドバイ」
ねぇ、旅人さん、私たち土倍で楽しかったの。
あなたは思います。土倍ってどこだ。千葉?
別の女性が言います。
「ほんっだ! ビルこんなだぞこんーな高い! おら、登っておしっこもれそうになって」
そろそろ翻訳は不要ですね。
「ちょっとやんだあんだおしっこだっづ」
「やんだよー」
「やんだやんだ」
「あららほほほ」
また、男性がぽつりと言います。
「せつねど」
無視されます。
「ほんで鎌田さん、あんどきのあれ」
「やんだーもー言わないでけらいもーおらおしょすいがーやんだやんだ」
笑い声のなか、あなたは男性に言います。
「せつねどってなんですか」
「うるせぇと言う意味だ」
「おしょすいがーってなんですか」
「恥ずかしいよう、という意味だ」
「……ありがとうございます」
いきなりあなたは腕を叩かれます。
「ほらあんだピーナッツ食べらい。うんまいぞ」
「うめぇがなー」
「さすが産地だ。おらどごでは出来ないな」
「寒いがらね」
「なじょにがなんねべがね」
少し真剣な女性たちの会話に、男性が噴き出します。
「おら、やんたぞ。やらねぇがらな」
「わがってる。おとうさんば梨作って貰ったらいいからよ」
「村上さんの梨うんめぇがらねぇ」
「最高だでば」
発車のベルが鳴ります。
駆け込んで来る男子高生の後ろで、ドアが閉まります。
運転席から大きな声がします。
「駆け込まないでけらい! あぶねぇよ!」
男子高生が答えます。
「すみません!」
息が切れています。
確かに、ここで一本逃すのはいたいのかも知れません。本数は多くはありません。
おばちゃんたちの一人が、男子学生に言います。
「あんだピーナッツ食べらい」
え、どうするの……
あなたは思います。
男子学生は言います。
「いらねぇです」
「うんまいぞ」
「好かないのす」
「あ、そう」
男子学生はひょこっと頭を下げて会話は終わりました。
見習いたい。
思いながらあなたはピーナッツのからを剥きます。


続く
第一回 一ノ関駅


東京駅から新幹線で二時間半。
南三陸沿岸の玄関口、一ノ関駅に着きます。

07:56~10:21JR新幹線はやて103号 
運賃:片道12,470円(乗車券7,140円 特別料金5,330円)
一ノ関で乗り換えて
10:43~13:0823JR大船渡線・盛行
のルートです。
参考までに合計運賃は片道13,840円(乗車券8,510円 特別料金5,330円)です。

けれどもまっすぐ着いて貰っては困るので、ちょこちょこ途中下車して貰います。

さて、もうすぐ一ノ関に着くところからはじめましょうか。

正直、ちょっと遠いです。
車内販売で買った福島名物ままどおるを食べながら
(ままどおるは玉子あんを皮で包んだほそながいお菓子でとてもおいしいです)
仙台でもよかったんじゃないの。あそこらへんが距離的に妥当なんじゃないの。
あなたはそう思って、大船渡線の路線図なんか広げます。
そしてきっとこう思うはず。

なんでこんな形なの。

大船渡線は、なべづる線と異名を取る路線の形をしています。
クネクネしております。
どんだけ利権争いあったの?
とか、
どんだけこの一本ですませようとしたの?
とか、
これかえって不便じゃないの?
とか、
思うと思いますが仕方ないのです。くねくねしちゃっているのですから。


あなたの今回の旅の目的は、陸中海岸国立公園とその周辺の観光です。
楽しんでください。
一人旅です。


季節は今回は春にしましょう。
夏にも来て下さい。秋も美しいです。けれど一番美しいのは冬です。

それはまた別の時にするとして今回は春にしましょう。

ゴールデンウィークで、新幹線はそれなりに混んでいます。
くりこま高原を過ぎたところで、やたらトンネルが多いなとあなたは思うでしょう。
とおくの山に見える藤色の花は、下がっていれば藤、上向きなら桐です。
ごお、とトンネルを抜けると古川駅です。
このあたりから水田が多く見えてきます。
雑木林を擁する山々は、若葉を吹きだして輝いています。うぐいす餅のようです。
山桜は群れないので、差し色のように一本ずつ桜色に翳っています。
信じられないほど急な斜面に鉄塔が立っていて、杉や松の重い緑が陽に影を持ちます。
幾枚かの水田では水が入れられ、田植えの作業が行われているかも知れません。
それらは青空と山々を映して、まるで天空が地面に落ちたようです。
あぜ道を子供がひとりでかけていきます。
関東では散ってしまった桜がここでは今が満開です。なぜか八重桜もほぼ同時に咲いています。
天から地から、光が満ちて、雲は白く流れていきます。

てれててててーんててれてててーん♪
間もなく、一ノ関駅。一ノ関駅。

続く英語のアナウンスを聞いて、あなたは路線図をしまいます。
ってるうちに列車は減速を初めてあなたは慌てます。
止まります。
あなたは
駅間狭いだろ!と慌てますが、他の皆さんは慌てていません。

扉が開いて、あなたは一ノ関駅のホームに降り立ちました。

そして言います。

「寒」。

他の皆さんは慣れている様子で足早に歩いて行きます。
新幹線はホイッスルの音と同時にまた出ていきます。
あなたは歩きだしてエスカレーターを降ります。

晴れてて四月末なのに、なにか空気がひんやりしています。
喉が冷えるような冷たさです。

乗り換えに少し時間があります。
コンコースには人は少なく、あなたは飾ってある大木の輪切りなど見ます。
寺に奉納されている大太鼓の素材ということです。
小さく手書きで色々書き込んであり、天保の飢饉の時には年輪の間が異常に狭いことに気がつくでしょう。
大変なんだなぁ。
ちょっとぞっとするかもしれません。
ところで寒いので、ベンチに荷物を置いて、一枚着込みましょう。
そして荷物を持って離れますが、改札を出て、ポスターに目がつきます。
「義経伝説~平泉」
路線図を見ると、駅は隣の隣です。
今回は大船渡線の旅ですから脱線ですが、せっかくエアトラベルなのでちょっとあなたをお連れしましょう。

毛越寺
「うおなにこの別世界! 小宇宙!」
中尊寺
「古い。ぼろい。ミイラ」
達谷の窟
「なんでこれこんなことに!」

中尊寺は、少し年をとってからきたほうがいいかもしれません。
けれど、みんながいいというものを若いうちに無理矢理見るのもいいものです。
毛越寺はアヤメもとても見事ですが庭園自体素晴らしいし、駅からも近いのでお勧めですよ。
達谷の窟は、あまり知られていませんが、見ても損はないと思いますし、
岩手の歴史を感じるいい史跡と思います。

さて、一ノ関駅です。
「ふぅ……ちょっとなんか疲れた……」
売店で山のきぶどうというドリンクを目にして買ってみます。
「すっぱ!」
お値段三百円でちょっとお高いです。
「でもうめぇ」
疲れが取れますよ。久慈市の名産です。県内には多く流通しています。
通路を歩いて行くと、階段があります。
降りると外です。ホームがあって、そこに緑色の車両があります。
四両あります。
気仙沼で切り離される車両と、盛まで行く車両です。間違えると乗り換えなくてはなりません。
結構人が並んでいます。
学生さんたちもいますし、会社員さんもいます。

座れますかね?


車体の横には、「ドラゴンレール 大船渡線」と書かれています。
かわいいドラゴンのマスコットも一緒に。


車両の扉が開きます。
どうぞ、前の方に続いてお進み下さい。


続く。